歯切れの良いラジオ番組を2つ! [ラジオ]
私のベッドの頭の上にはラジオが置いてある。
以前は、お気に入りのラジオ番組を録音し、
寝る際に聴いていたのだが、
最近はテープ装置が壊れてもっぱら聴くのみとなってしまった。
このラジオで朝の5時、
ニッポン放送で高島秀武のラジオ番組を聴く。
発言が歯切れが良く、眠気が飛びそうである。
頭の上のラジオのほかに、テレビの脇にもう一台、
USB録音が可能なラジオを置いて、
日曜の夜9時からの松山千春の番組を録音して後で聴いている。
こちらはFMのナック5だ。
日曜の夜は、テレビの方も面白いのがあるからねー。
松山千春も歯切れが良くていいね~。
NHK「昼の憩い」 [ラジオ]
NHKラジオの「昼の憩い」が
懐かしい~~!
(この放送は、今も放送しているらしい)
この音楽(メロディー)を聴くと、
自分は、直ぐに10歳の頃の
子供に戻る事が出来る。
当時、お昼過ぎになると
自宅のタンスの上に置いてあった
ラジオからいつも聴こえて来た
「昼の憩い」のメロディー。
「茨城県真壁郡の○○通信員
からのお便りです!」と
女性アナが語る。
懐かしい!
実は当時、
我が家のタンスの上にあったラジオは、
檀家のお坊さんの息子さんが
作成してくれたものだ。
浄土真宗のお寺の息子さんは、
坊主を継ぎたくなくて
電気の企業に従事したらしい。
その結果、
彼の妹さんが檀家を継いだのだった。
ラジオ日本に後輩が出演 [ラジオ]
先月、
学生時代のクラブ仲間の一人が
大阪から上京したので
新宿に集合し、
4人で赤ちょうちんで乾杯した。
その後、場所を移動し
久しぶりに渋谷に行き、
後輩の武志くんに会いに行く。
「yamagtxpさん、学生時代の様に
また曲を作りましょうよ!」と
彼が言うものだから、こちらは
すっかりその気になってしまった。
彼は、
昔から人を持ち上げるのが上手いのだ。
その後輩の彼から
先日の月曜日の夕方、
携帯に電話があり
「先輩、私今夜のラジオ日本の
ラジオに出ますから!」と言うのだ。
「そうか、連絡しとくから」と
電話を切った後、
同じ大学のクラブ仲間10人ほどに
メール連絡をした。
少人数のクラブであるのに
時々昔の仲間が
テレビやラジオに登場する。
昨年も一人がNHKラジオに
出ていた。
今回、
武志くんがラジオ出演したのは、
ラジオ日本(元のラジオ関東)の
川瀬泰雄氏の月曜日の夜9時半から
10時までの番組。
私は知らなかったのだが、
この川瀬さんは山口百恵を
ずっとプロジュースしていた人物で、
フリーになった現在はビートルズを
扱っているらしい。
放送中の2人の会話では、
彼等は12年ほどの付き合いで、
川瀬さんは、渋谷神泉駅前の武志くんの
経営するライブハウスのランタンへ
良く顔を出しているそうだ。
もっとも、武志くんも嘗て
「会いたい」でブレイクした沢田知可子を
5年ほどプロジュースしていたそうだから
同業と言う事か。
番組中、
昔懐かしいデーブ・クラーク・ファイブの
曲も流れた。
そして番組は、
「来週のゲストは井上陽水さんです」
で終了した。
ラジオ日本は横浜の放送局だった気がするが、
音が大きくなったり小さくなったりして、
安心して聴く事は出来なかったが、
山形の後輩くんの話だと、
あちらでも放送は聞こえるそうだ。
1杯のコーヒーから [ラジオ]
子供の頃、
我が家のタンスの上に、
1台のラジオが乗っていた。
ダイヤル版が黄緑色のそのラジオは、
蒲田にあるお寺の息子さんが
組み立ててくれたものだ。
その息子さんの興味は
もっぱら電機関係にあり、
お寺を継ぐ意志はない様だった。
それから二十年後、
父親であったお坊さんが危惧していた通り、
息子さんはお寺を継がず、
娘さんがお坊さんとなり、
そのお寺を継いだ。
そして更に時は移り、
我が家は蒲田から遠く離れた
自宅近くの霊園に墓を設けたので、
その後のお寺さんの様子は分らなくなった。
「やん坊・にん坊・とん坊」、「福ちゃん」、「昼の憩い」、
「思い出の渚」、「霧雨の歩道」、「朝日のあたる家」などなど、
子供から青年期の成長過程の私の耳に、
沢山の歌や番組をそのラジオは届けてくれた。
社会人になったばかりの頃、
茅場町の麻雀荘で学生時代の友人達と遊んでいた。
ふと隣の卓を見ると、
この歌の作詞者の藤浦洸が
あのしわしわの顔で、
楽しそうに麻雀をしていた。
その時の彼らは、
年齢的には50代だろうか。
「あの歳になっても麻雀をするのか」と
その後の自分の事は考えずに、
そう思ったものだ。
「どよう楽市」に後輩が登場 [ラジオ]
梅雨のない北海道は少し羨ましい気がします。
その北の大地から、
我々の学生時代のサークル仲間である
K君の話題が久しぶりに伝わってきました。
彼は、今朝のNHKラジオ「どよう楽市」にゲスト出演し、
札幌市 アンティーク店店主 ○○○○さん
今週の楽市カフェのお客様は、
札幌市の楽市リスナーです!!
去年、高校の英語教師を早期退職し、
開いた方。
その彼が今追っている夢は、音楽。
かつて本気で夢見ていたプロ歌手への道を、
夢を追い続ける「楽市リスナー」、
彼や私が学生時代に属したサークルは、
少人数で、しかもクラブ組織ではなく
その下の愛好会でした。
そんな少人数のクラブ員の中から
これで9人目です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(おまけのひと言)
今日は久しぶりの
晴天の休日です。
天気は良いが、
悲しい事に
先週から
虫歯が疼いて
いるのです。
都倉俊一のラジオ番組 [ラジオ]
私の子供の頃に、「テレビっ子」と言う言葉があった。
私も、ご多分に漏れず、そのテレビ少年だった。
しかし、青年期にはラジオの深夜放送が台頭してきて、
私はラジオ番組のリスナーとなった。
社会に出た後は、
新聞・雑誌等のマスメディアに触れて、
テレビとは良好な関係が続いたが
ラジオとは疎遠になっていった。
そしてある日、気がつくと、
テレビの画面から放送される内容は
若者が声を投げ掛け合う喧しい物や、クイズ番組等ばかりで
私の見たい放送内容とはかけ離れてきている事に気づいた。
そこで、ケーブルテレビを見るようになり、
韓国歴史ドラマや今まで視聴した事のない
放送に多くの視聴時間を費やすようになった。
同様に、ラジオにも目が行くようになり
「何か面白そうな番組はないか」と捜し始め
土曜日午後3時からの伊東四朗と吉田照美の番組を
聞くようになった。
そして、先月の日曜日の朝。
他にも何か面白そうな番組は
ないかと詮索している内に、
偶然こんな番組が私の耳に入いり
以後、時々聞くようになった。
画面右に、
新聞の切り抜き写真を掲載したが、
日曜日午前8時から、
NHKーFMラジオで放送される
「都倉俊一のミュージック・メモリー」だ。
この番組は
今年になり始まったようだが、
新聞のラジオ欄にDJの名前を
出さないので、
新聞を見ているオヤジ族には、
これが誰の番組なのかが分からない。
「メモリー 男の名は・・・・」では、
新聞を見ていても目が留まらない。
今のオヤジ族連中は、聞きたいラジオ、見たいテレビを探して
いるのだから、もう少しアピールした方が良いと思うが・・・、
どうだろうか?。
本日の話題は「007ジェームス・ボンド」の
ショーン・コネリー。
時代は1960年~70年。
番組内で掛ける音楽は、この映画の挿入曲から
三田明の「美しい十代」まで様々。
都倉俊一と言えば、ピンク・レデイーの曲は全部彼の作曲。
山口百恵の「ひと夏の経験」しかり、
私の好きな「五番街のマリー」や
「ジョニーへの伝言」まで全て
彼が作曲すると言う才能の持ち主。
以前のゲストは、
かまやつひろしや飯田久彦だった。
最近は、彼が以前作曲した曲を、
大人の雰囲気にアレンジし直していると言う。
暫くの間、この番組に注目してみるつもりだ。
誰か解明できますか? [ラジオ]
今後は、なるべく自分の古い記憶から、
「私の備忘録」にしようと思います。
このため、今後は逆に、
「雪の降る街を」が好き! [ラジオ]
中田喜直 作曲
想い出だけが 通りすぎてゆく
雪の降る街を 遠い国からおちてくる
この想い出を この想い出を
いつの日か包まん
あたたかき幸福の ほほえみ