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1杯のコーヒーから [ラジオ]

子供の頃、

我が家のタンスの上に、

1台のラジオが乗っていた。

 

ダイヤル版が黄緑色のそのラジオは、

蒲田にあるお寺の息子さんが

組み立ててくれたものだ。

 


その息子さんの興味は

もっぱら電機関係にあり、

お寺を継ぐ意志はない様だった。

 

それから二十年後、

父親であったお坊さんが危惧していた通り、

息子さんはお寺を継がず、

娘さんがお坊さんとなり、

そのお寺を継いだ。

 

そして更に時は移り、

我が家は蒲田から遠く離れた

自宅近くの霊園に墓を設けたので、

その後のお寺さんの様子は分らなくなった。

 

「やん坊・にん坊・とん坊」、「福ちゃん」、「昼の憩い」、

「思い出の渚」、「霧雨の歩道」、「朝日のあたる家」などなど、

子供から青年期の成長過程の私の耳に、

沢山の歌や番組をそのラジオは届けてくれた。

 

 

社会人になったばかりの頃、

茅場町の麻雀荘で学生時代の友人達と遊んでいた。

 

ふと隣の卓を見ると、 

この歌の作詞者の藤浦洸が

あのしわしわの顔で、

楽しそうに麻雀をしていた。

 

その時の彼らは、

年齢的には50代だろうか。

 

「あの歳になっても麻雀をするのか」と

その後の自分の事は考えずに、

そう思ったものだ。

 

 


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コメント 2

mokoママ

yamagtxpさんこんにちは!

懐かしい歌の数々・・同世代の私は
全て覚えています。
あの時代、まだテレビも無く歌はラジオから
流れて来ていつの間に覚えてしまっている。
一つの曲が何年も歌われて子供から年寄りまで
皆が口ずさめる。

そんな良き時代でしたね~。

そう言えば「霧島昇」は私と同郷の方で
子供の頃から「誰か故郷を思わざる」を
よく歌っていました。笑

昔の歌手は音楽を本格的に習った人が
多かったですね!

霧島昇
by mokoママ (2011-09-13 11:43) 

yamagtxp

昭和の後半は良い時代ですね。
私は戦後生まれだから、良い部分しか
知らない世代です。

しかし、物がない子供頃の癖は今でも
抜けません。

「勿体無い、勿体無い」の毎日ですよ。

by yamagtxp (2011-09-14 17:05) 

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