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今頃になって新年会を開催 [青春時代]

③-150.JPG

これが先日行われた、学生時代の我々クラブOBの「新年会」の様子。

「今頃新年会?」とお思でしょうが、2月は土曜日のたびに雪が降り

新年会が延期となって、ついに3月にずれ込んだ次第。

「あの日なら参加出来たのに~」とふてくされた欠席者もおりました。

ここは渋谷のライブハウス。

真ん中で両手を挙げているのが持ち主。

壁にはビートルズ写真ばかりが掲載されていて

本物のジョン・レノンも訪れた事があるお店。

この写真の反対側がステージとなっており

当日は貸切状態のため、

午後3時から8時までの5時間の間

我々素人が歌いまくり放題。

皆さん、満足顔で帰宅いたしました。


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「私の二十歳」(前編) [青春時代]

もう数十年前の学生時代の事だが、
私が2階にある学食のテーブルに座っていると、
隣のテーブルで後輩のS(女の娘)が、
ノートに下敷きを敷いて
何やら書き込んでいた。

子供の頃、何かを書く時は下敷きを
ノートの下に敷いて書いていたものだが、
大学生になると下敷きは使わなくなる。

同時にそれが、
大人に1歩近づいた気分にもなった。

彼女の光景を見て私は
「あの子は、まだ子供だな」と感じた。


私が食事をしていると
彼女が寄ってきて「yamagtxpさん、
これで歌が出来ますか?」
とそのノートの切れ端を私に示した。

題名は「私の二十歳」。

「私の何処が大人、私の何処が子供、
好きな人が出来てお嫁に行くの」
と言うような詩の内容だった。

「下敷きを使うのは子供だ」と
思っていたら、
考え方は案外大人の様だ。


私は、ノートの切れ端を
取り敢えず受取った。

そしてそれから1週間後、
その詩を見て、ギターを弾いていたら
自然に歌が出来てしまった。

( 続 く )


 


タグ:二十歳 学食
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高校の先輩方 [青春時代]

先日の日曜日、
7月に実施された八坂神社の
お祭りの反省会が行われ、
いつもの旅館に40人ほどが集まった。

自己紹介等宴もたけなわとなった頃、
私は以前の会長の隣に席を移した。

彼の会話の中で、駒込の話が出て、
その後に「本郷」と言う言葉が飛び出した。

私は思わず「私、本郷です」
と相ずちを打ってしまった。

すると彼は、「A!」と私の同級生の
兄貴の名前を呼んだ。

そこで分ったのだが、
この私より5つ6つ年上の
元の町内会長たちは
私の高校の先輩だったのだ。

この寄り合いの中で
ペンと剣の超有名校の
先輩後輩たちの話は
良く聞かされていたが、
子供の頃から住む、
それもこんなに近いところに
私の高校の先輩方がいるとは
今まで想像もしていなかった。

嬉しくなった私は、
3人で集合写真を撮ってしまった。


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助川雅彦くんは何処に? [青春時代]

大概の人は、ブログを書く時は、実名を出していません。

しかし、彼だけはそろそろ

実名を出しても良い時期と判断したので今回出します。

30年ほど前から連絡先不明の

学生時代の友人の助川雅彦くんです。

彼の情報は皆無なのです。

彼は、青森県八戸市の出身です。

上京後、大学を出て

吉祥寺にお店を出しましたが、上手く行かず、

赤坂のクラブでピアノの弾き語りをしていました。

その頃の彼の自慢は、

「自分のピアノで、美空ひばりが歌った事」でした。

学生時代、彼の八戸の

実家を訪れた際は皆が世話になりました。

母親は踊りのおっしょさんで

「ひさなみえ」という名前で藤紫を踊りました。

その母親が30年ほど前に亡くなりました。

国立の霊園に葬儀に行った際、

彼は不動産の仕事をしていました。

以後彼とは会っていません。

弟さんは音楽関係の会社に勤務していました。

彼は1948年の生まれです。

どなたか彼を

ご存知ありませんか?


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キューバ行きの切符 [青春時代]

下町にある彼の事務所に足を運ぶのが

最近の恒例になっている。

 

彼はお酒が入ると、

「学生時代にキューバ行きの切符を手に入れたのだが、

あのよど号のハイジャック事件が発生したので

行けなくなってしまった。」と呟く事がある。

 

先日もそのメールが来たので、

「・・・では何故、キューバでなく、

その敵対国の米国に3ヶ月も旅をしたのか?」

と返信をした。

 
すると、

「良い質問だ。次回会った際に話をしよう。」

という事になった。

 

私は学生時代はノンポリだったが、

彼は学生運動に参加していたのだ。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

キューバと言えば、「コパカバーナ」という

バニー・マ二ローの明るい良い歌がある。

 

歌詞を簡単に紹介すると、

ハバナの北のホット・スポットの

コパカバーナに

ローラという踊り子がいた。

 

彼女には、

トニーという恋仲の

バーテンダーがいた。

 

ある日、

お店の中で1発の銃声がした。

 

・・・・・そして

彼女は恋人を失った。

 

 

それから30年後。

 

ローラは

まだコパカバーナの踊り子。

 

しかし、

彼女の出る幕はない。

 

彼女は酔っていた。

 

ハバナの北で1番のホット・スポット

 

「コパカバーナ」で

恋に落ちてはいけない。

 

 

そんな内容の歌。

まずはお聴きあれ!

 

 

 

 


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レコード盤の始末は [青春時代]

私の一番古い記憶の中に、
レコードを聞いている情景があります。
   
SP盤の大きな黒いレコード盤の上に針を置くと、
そこから「しるこ~い、汁粉!」と言う落語の声が聞こえてきました。
  
私は、針の先からどうして声が聴こえて来るのかが不思議で、
いとこと2人で、回るレコード盤と針の先をいつまでも見つめていました。
 
それは、4、5歳の頃の記憶だと思います。
 
  150px-Record.jpg
(これは真ん中の穴が大きいドーナツ盤)
 
自宅には、ハンドルでバネを回しておいて、
その後レコードを回す蓄音機と言うものがありました。
 
その傍らの床の間には、
父親の趣味のクラシックの黒いレコード盤が
沢山積んでありました。
 
しかし、私はそのレコード類には興味を示さず、
もっぱらポピュラー音楽に目が行きました。
 
私が初めて買ったレコードは、
ウーゴー・ブランコの演奏する「コーヒー・ルンバ」です。
 
その後、ベンチャーズ、プレスリー、ビートルズ等のレコード、
また、それと並行して洋画の映画音楽のレコード
買い込んでいきました。
  
私の青春は、それ等のレコードの中にあるようなものです。
  
  
しかし、今から30年ほど前の事です。
 
今までのレコード盤に代わる、
丸い円盤状の、レコード盤より2回り程小さな製品が開発されました。
色はレコード盤の黒色と違い、それは銀色の円盤です。
 
その新製品の名前を何にしようかと考えたメーカーは、
「レコードに代わる新製品です。レコードにはA面とB面がありました。
AとBの次はCとDですね」。
と言う訳で、
その新製品はCDと言う名前を付けられました。←これは何処かで聞いたジョークですよ。
 
このCDの誕生で、
私の青春を楽しませてくれた沢山のレコード盤は、
現在埃を被っています。
 
以前埃を被っていた、
父親のクラシックのレコード盤のその後の行方は、
私の記憶にはありません。
  
私のレコード盤の始末は、
息子に任せる事にしましょう。
 
・・・・・・・・・ 
 
 
本日は、8日連続の土曜日の雨。
紫陽花の花も雨に濡れています。
 
DSC00608-35.JPG
 
 
 
↓ 来週はこちらの花も咲きますね。
  
 
DSC00611-35.JPG

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おみくじで3回の大凶 [青春時代]

今はお正月中なので、
皆さんが神社やお寺さんにお参りに行きます。
 
そして、お参りの後、
おみくじを引く人がいます。
 
最近は、そのおみくじの中に、
大凶を入れないと言う話を
聞いた事があります。
 
しかし、本日私がお話するのは、
神社側がそんな気遣いを、
まるでしていなかった頃のお話です。
 
 
 
 
私が青春をしていた頃、
付き合いをしていて、
離れたり、戻ったりの、
幼馴染のある女性がいました。
 
名前は、MK代さんです。
 
その日は、
ある、お正月の1月3日でした。
 
二人で、お参りに行こうと言う事になり、
東京の赤坂にある、
豊川稲荷に出かけました。
 
 
 
その神社でお参りをした後、二人でおみくじを引きました。
私が引いたおみくじの中身は、
可もなく不可もなくと言う内容だったと思います。
 
ふと彼女の方を見ると、
おみくじを握り締めたまま、
ふらふらと向こうに歩き出していました。
 
私が「どうしたの?」と聞くと、
彼女は黙って、
私に先ほど引いたおみくじを差し出しました。
 
おみくじの中を見ると、
そこには「大凶」と言う字が記されていました。
 
私は、
「たまにはこんな事もあるよ。
もう一度引いてご覧!」と彼女に言いました。
 
しかし、彼女の答えはこうでした。
 
「実は、昨日も、おとといもお参りに行き、
おみくじを引いたの。
そして、そのおみくじの中身は2回共大凶だったの。
だから、今日はもっと良いおみくじを引くだろうと思い、
お参りに来たの」。
 
つまり、
お正月の3日間、3回のお参りに行き、
おみくじで3回「大凶」を引いてしまった
と言う事なのです。
 
何と言う事なのでしょうか。
 
大吉を3回と言う可能性はありますが、
大凶を3連続ゲットとは・・・・。
 
実は、彼女は、
以前から年下の男と付き合っていましたが、
その男に、最近振られたらしいのです。
 
その時の彼女は、
失恋の痛みに苦しんでいた時期でした。
 
その後、飲みに行った際、
彼女は下を向いて「女は傷付くのね」とポツリと呟きました。
 
それに対して、私は、
慰めの言葉も掛けられず、
ただ頷(うなず)くだけでした。
 
翌年、彼女に「どんな1年だった?」と聞くと、
「なるべく何処にも出かけず、大人しく過ごしていたら、
何の悪い事も起きない1年だった」
と答えました。
 
 
その後、失恋の痛手から立ち直った彼女は、
車の代理店に勤める優男と結婚して、
現在は横浜の方に住んでいると、
風の便りに聞きました。
 
私にも、そんな
青春の、
お正月もありました!
 
 
 
 
 
 

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あの頃の郵便局 [青春時代]

また、今年も年賀状の季節が来た。
 
私は、いつも、
年賀状は、郵便局に勤務している
Sくんに依頼している。
 
 
 
彼とは中学生の時からの付き合いだ。
 
郵便局と言えば、
 
私が二十歳前後の頃、東京中央郵便局で、
4年間ほどアルバイトをしていた事がある。
 
 
 
当時、
局内ではアルバイトとは言わず、
「非常勤」と言っていた。
 
局内のあらゆる部署で
4年間も働いていたのだから、
あらゆる部署の様子は分かる。
 
その間は、私が浪人をしてた時期、
そして、その後大学に入学しての時期にあたる。
 
1階の窓口勤務の頃、
主事のKさんがそのフロアーの責任者だったが、
その下に副主事の太った人がいた。
 
 
今から数年前の事。
先ほど冒頭で記した、
いつも年賀状を頼んでいるSくんから、
「転勤して中郵の窓口にいる」と言う
連絡を受けた事がある。
 
早速、お客として、窓口に行き、
Sくんを捜した。
 
すると彼は、
数十年前、
まさに太った副主事が座っていた同じ席で、
ハガキの束に印鑑を押していた。
 
私の、人生の中で、
若い頃自分自身が接した場所に、
また違う人生の流れの中の知り合いが、
同じ場所に重なって登場したのだ。
 
何とも妙な状況だったが、
別に悪い気はしなかった。
 
思わず、バック・ツウー・ザ・ヒューチャーの
一場面を思いだしてしまった。
 
 
窓口の外国部で働いた時、
夜の8時頃、女性が封書を出しに来た。
 
受付けた際、良く見ると有名な女優だった。
名前は度忘れしたが、あて先はフランスだった。
 
また、職員のHZさんから、
「郡上八幡の郵便局長の辞令を貰った」と
私に見せてくれた事があった。
彼は当時、まだ28歳だった。
地方の局長は世襲制だったのだろうか。
 
 
 
地下には私書箱があった。
そこに、漫画の「意地悪ばあさん」を
そのまま男にしたような、
小さくて、良くお喋りをする人がいた。
 
彼の名前は「A楽吉之丈」と言う。
 
歌舞伎役者のような名前だったので、
子供の頃、良く先生にからかわれたそうだ。
 
郵便局は東京駅の目の前にあり、
場所的には東京の度真ん中だ。
 
現在は、
局員は綺麗な制服で働いていると思うが、
当時はそうでもなかった。
 
知人が地方から上京して、
その人と面会する際は、
わざわざ背広に着替えていた。
 
地方の人をがっかりさせてはいけない
と言う配慮のようだ。
 
4階か5階で、
外国からの輸入品の検察の
手伝いをした事がある。
 
係官が派遣されて来ていた。
彼らは全員紺色のコートを着ていた。
 
銀製品が混じっていないかどうかは、
電流を通して、その有無をチェックしていた。
 
また、写真集の内容のチェックもあった。
 
外人女性の裸の写真で、
アンダー・ヘアーが写る物は
全部没収してしまうのだ。
 
当たり前の話だが、
頭髪が茶色の女性は下のヘアーも同じ色だった。
 
今の日本では、ヘアー写真集は
当たり前の事であるが、
今から数十年前の事である。
 
広いフロアーの真ん中に
没収した写真集が渦高く詰まれていた。
その後、それをどう処理したのかは知らない。
 
ある日、
職員がこう話していたのを
耳にした事がある。
 
「自分達の給料は安いが、
国鉄よりは良いよ。下から2番目だからな」。
その話を聞いて、
私は郵便局に就職するのは止めにした。
 
しかし、現在、
定年まで郵便局で働けば、
退職金は、男女に関係なく3000万円だそうだ。
 
民間よりはずっと良い金額だ。
今になって後悔しても遅い。
 
しかし、これも、
民営化されて以降は、
どうなったのか、私は知らない!
 

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一番遠くに行ったのは [青春時代]

私が青春をしていた頃、
「活葉(かっぱ)の会」と言うサークルがありました。
 
男7~8人、女も同じ7~8人位の人数で、
地元の小学・中学校時代の同級生の集まりでした。
 
何かと言っては集まり、何処かに出かけたり、飲んだりしていた。
 
 
 
ある日などは、男女10人ほどが早朝から駅に集合し、
電車で銚子まで出かけました。
皆で海で遊び、灯台を見学し、1日中ぶらぶらしていました。
 
そして、夕方は地元の町に帰り、皆で居酒屋でお酒を飲み、
9時頃に女性連中は帰宅させました。
 
 
 
残る男達は朝まで麻雀です。
 
 
明け方には早朝ボーリング。
そして、駅前の弁当屋でお弁当を買い込んで、
公園で朝食を食べ、芝生で昼寝です。
 
今では考えられない行動です。
 
活葉(かっぱ)と名づけたのは、
地元の盆踊りに「かっぱ音頭」と言う歌があったからです。
 
時々(・・・今でも)やる、麻雀の1ピンの4個の丸の中に、
「活葉の会」と言う字を刻みこみました。
 
その他、その頃はダンスが流行っていたので、
皆で良く出かけました。
 
また、冬はスキーでした。
 
その後、女性連中がお年頃となって
結婚して離れて行きました。
 
ある日、いつもの調子で、
結婚したばかりのSさんの自宅に電話をしたら、
旦那が出てきて、
「おお~い、若い男から電話だよ~」とSさんを呼んでいました。
旦那に若いと言われても、彼女とは同じ歳です。
 
その時、私は、「はたっ!」と気がつきました。
相手が所帯を持った後は、特に女性の場合は、
対応に気をつける必要があるのだと。
「今までとは違うんだ」と言う事に気付かされました。
 
Sさんとは中学1年の時に同じクラスになりました。
その後6月になり、初めての中間テストがありました。
 
その中学は、町に1つしかない中学で、
町内の4つの小学校の子供がそこに集まります。
しかも、我々は「産めや、増やせよ」の団塊の世代です。
1年生は全員で350人もいました。
 
そして、中間試験が行われた結果、私は上から75番でした。
しかし、Sさんは全校で1番だったのです。
 
彼女は、頭が良いのに、気さくな人でした。
 
ある日、活葉の会で何処かに出かけて、
昼食をとった後の事です。
 
Sさんは、自分の歯を「ニーッ」と見せて、
「どう?、ノリは付いていない?」と
私に聞いてきた事もありました。
 
もう一人はWさんです。
Wさんの父親は市長でした。
しかし、彼女もそんな素振りは全然見せません。
 
海に行った時の事です。
皆が砂浜に座り、海を見ていた時の事です。
彼女は、いきなり皆の前に現れ、ビキニで倒立を始めました。
 
 
スキーに行った時は・・・・。
ズボンからシャツをはみ出している私を見て、
保母さんをしている彼女が、
後ろからシャツを入れてくれました。
そして、一言(ひとこと)言いました。
「男の人は、いつまでも子供のままね~!」・・・でした。
 
同じ歳の男女で、精神年齢を比較してみると、
どう見ても、最低3歳は女性の方が上の様です。
 
今までの2つの例を見ても、我々男どもは、
女性陣から大人の男性とは見なされていなかったようです。
 
逆に見れば、女性から見て、
同じ歳の男性は頼りないと言う事です。
 
青春を共に過ごした沢山の連中も、
現在地元に残るのは私とIさんの2人だけです。
 
T君は船橋市。Wさんは千葉市。
WY君、Mさん、Sさんの3人は横浜市。
Hさんは、遠く小田原に。
 
みんな、嫁に行ったり、
引越しをしたりして地元を離れて行きました。
 
 
そして、リーダーだったN君は10年前、
気が短いサブ・リーダーは3年前の事・・・。
 
 
この2人は、一番遠~い、
 
あの世に逝(い)って
 
しまいました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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後輩との出会い [青春時代]

 
話の時代は、
ずっと以前の学生時代に戻ります。
 
ある日の土曜日の午後の事です。
私は大学の2階の食堂にいました。
 
そこに、ギターを抱えた
同じクラブに所属する
後輩のSS君がいました。
 
彼は私に向かい、
「今日は浅草の親戚に行くんです」と
呟きました。
 
以前にもその話は彼から聞いた事があります。
 
彼の住む家は、大学からはかなり遠く、
栃木県から通学していました。
 
私がその話を聞くのは2度目でした。
 
私は何気なく、
「その親戚は、浅草の何処?」と彼に聞きました。
彼は「KMです」と答えました。
何かを感じた私は、
すかさず「親戚は何かお店でもやっているの?」
「ええ、花火屋です」。
 
そんなやり取りをしている内に、
私の頭の中は、ぐるぐると
捜査の回転をし始めました
 
そして、こんな結果に結び着きました。
 
「彼と私とは、
前の世代から赤い糸ならぬ、
花火でつながりがっている」と。
 
 
 
実は6月24日のブログに書きました様に、
私の本家は花火問屋なのです。
 
そのお店に、
私が子供の頃から出入りしている
Sさんがいました。
 
このSさんは、本家に住み込みで働いていて、
その後番頭さんになり、
現在は独立して
本家の向かい側にお店を出しているのです。
 
先ほどの、大学の食堂でのやり取りで、
「KMにある花火屋と彼の名字のS」が
ヒントになり、
「もしかしたら」とSS君に話したら
私の推理は図星でした。
 
SS君はSさんの甥っ子だったのです。
SS君は、私の本家で
番頭さんをしていたSさんの
妹の息子でした。
 
私はそれまで、
番頭さんのSさんが栃木の出身である事も、
ましてや、甥がいる事などは
まるっきり知りませんでした。
 
その後、彼の母親は、
私の母親も知っている事も分かりました。
 
同じ大学で、しかも同じクラブに所属していて、
ある日何気なく呟いたひと言から、
前の世代からの
彼とのつながりが分かりました。
 
 
卒業して20年後に彼と会った際、
「あれ以後、
それ以上の出会いはありませんでした」と
彼は私に呟きました。
 
以上、
「映画の一場面のような出来事」でした。
 
これが、
若い男女の間なら、
もっと面白い話に発展するのですが。
眞に残念な事でした。
 
 

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