小説「北条政子」を読んでみて [歴史]
2週間ほど前に、
市内の図書館に出かけ
永井路子の小説
「北条政子」を借りて読んでみました。
読んでいる間、
北条政子は、
「家政婦は見た」の市原悦子を、
その父親の北条時政は、
伊東四朗をイメージしていましたが
読み終わって感じましたが、
私の想像は大体当たっておりました。
北条政子(1157~1225)は、源頼朝の妻。
伊豆の韮山で勢力を誇っていた北条時政の娘。
伊豆に流されていた源頼朝と恋仲となり結婚。
治承四年(1180)、頼朝は平家追討の挙兵を行うが
最初の石橋山の戦いで敗北するが、
立ち直った頼朝は、源氏ゆかりの地、
鎌倉に入り政子を迎える。
そして念願叶って平家を滅ぼす。
政子も征夷大将軍の夫人となる。
夫・頼朝の亡き後、「尼将軍」と呼ばれ、鎌倉幕府に君臨。
御家人達による合議制を幕府の基本方針とし、
これに反対する者は、身内であろうと、功労者であろうと、
容赦なく追い払った。
承久三年(1221)に起こった承久の乱では、
朝廷に立ち向かうことを恐れた御家人を統率して、
上京させた。
恐らく政子は日本の数少ない女性政治家の中で、
最も知名度の高い人物であろう。
・・・と言う事になります。
しかし、私の読んだ小説では、
頼朝と政子の出会いから
二男である、三代目の将軍「実朝」が
長男の二代目将軍の子「公暁」に暗殺され、
以後、この様な争いを避けるため
将軍は京の朝廷から受け入れ
実質上の政治は、政子の兄弟が行う
所謂、執権政治がこれから行われる所で
終わっています。
何時の時代も、
権力に対する勢力争いは起こります。
「北条政子」は源氏の頭領「頼朝」亡き後の
坂東武者の中心でもあり、
北条政権の礎を築いた女性でもありました。
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(おまけのひと言)
自分が子供の頃、
毎年夏になると
親戚の家族と共に
鎌倉の海に出かけた事が
昨日の様です。
鎌倉から江ノ電に乗り
一駅目が「和田塚」です。
そこから、徒歩で10分ほどで
いつも行く保養所があります。
この「和田塚」こそが
鎌倉幕府の重鎮の
和田義盛の住まい跡だとは
子供の私には考えも
及ばない事でした。
永平寺ー(北陸の旅)その3 [歴史]
一乗谷の遺跡地から
車で15分ほどで「永平寺」に着きます。
参道の突き当たりまで車を進め
民芸品店兼食堂に車を停めました。
山門を通り、やや上り坂を歩きます。
写真ではわかりづらいのですが、
左右の幹の太さや寺院の造りの大きさに
圧倒されるものがあります。
左下の通用門を抜け、「吉祥閣」で若い元気な僧侶から
寺内の説明を受けます。
「永平寺」は1244年道元禅師により開かれた
座禅修行の道場です。
↑ 下り廊下。窓もひし形です。
木製エスカレーターの様相です。
(但し、自分で歩きます)。
建物内を見学するのですが、
その総距離は2キロあるのです。
建物内で、黒い袈裟(けさ)姿の修行僧に
直接カメラを向ける事は禁止されています。
幹もそうですが、
寺内のあらゆる造り物が大きいのです。
↑ 「報恩塔」・・・写経が収められています。
いつか、何処かで、何かで見た風景。
↑ 寺内を流れる「永平寺川」です。
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(おまけのひと言)
今回の旅行の
第一の目的は
ここ「永平寺」を
訪問する事でした。
ここには
若い元気な
修行中の僧侶が沢山います。
彼らから受けた印象は、
体から脂分が抜け落ち
気持ちに裏がない
透明な感覚でした。
受取ったパンフによると
女子校生の団体から
お年寄りの団体まで
沢山の座禅修行者が
3泊4日の日程で
修行をしている様です。
また、
お土産屋兼食堂で食べた
「永平寺そば」ですが、
いわゆる、観光地の
おそばの味ではなく
こしがあり
大変美味しい物で、
早速お土産に買込みました。
北陸の旅ーその2(一乗谷) [歴史]
北陸旅行の2日目は
福井駅や福井インターから
車で30分ほど離れた所にある
「一乗谷(いちじょうだに)」に
出かけました。
一乗谷とは、15世紀後半、戦国大名の朝倉氏が山城を築き
城下町を構えたところです。
朝倉氏は5代100年続きましたが、
天正3年(1573年)織田信長との戦いに破れ、
町は消失しました。
NHK大河ドラマの戦国時代で、
信長、秀吉、家康を描く時
浅井・朝倉連合軍との戦いは必ず登場します。
ここで問題を出します。
織田信長に攻められた朝倉一族の一部が
越後(現在の新潟)に逃れ、時代は徳川に変わります。
彼らは、身を隠す為、
名字の一部の朝の字を変更し、「○倉」と名乗ります。
そして、時代は昭和20年代。
東京で喉自慢が流行ります。
ある歌の上手な少女が、新潟から上京して歌手になります。
さて、現在でも活躍している
朝倉一族の末裔の女性歌手は誰でしょうか?
答えは最後に書いておきます。
↑ 戦いの15年後秀吉が朝倉義景の菩提を弔うため
寄進したと伝えられる唐門。
遺跡の後の山に生える竹林。
そう言えばここは
「越前竹人形の里」が近い。
↑ 跡地の中を流れる「一乗川」。
この川の上流に行くと、
江戸時代、佐々木小次郎が
「燕返し」の秘術をあみ出した場所と言われる
「一乗滝」があります。
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(おまけのひと言)
一乗谷は、
歴史が大好きな
小生としては
一度は訪れて見たい場所の
ひとつでした。
さて、
先ほどの問題の答えですが、
「東京だよおっ母さん」
「カラタチ日記」
そして最近では
「人生いろいろ」を
ヒットさせたベテランの
女性演歌歌手の
あの人です。
そう、
「島倉千代子」さんです。
「大正・昭和村」は何故出来ない [歴史]
どんなものだろうか?
祖母方のルーツ [歴史]
先日、本家の伯母が、
祖母方のルーツに関わりのある資料の
コピーを送ってくれた。
以前、我が家の祖先を遡ると、
「滋賀県の近江商人の出だ」と言う話は聞いた事があるが、
この資料で詳細を知る事が出来た。
地図で見ると、度々歴史に登場する場所の間の様だ。
彦根市と安土町の間。
一度訪ねて、
クンタ・キンテを捜しに行こうか!