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小説「北条政子」を読んでみて [歴史]

2週間ほど前に、

市内の図書館に出かけ 

永井路子の小説

「北条政子」を借りて読んでみました。

Masako02.jpg

読んでいる間、

北条政子は、

「家政婦は見た」の市原悦子を、

その父親の北条時政は、

伊東四朗をイメージしていましたが

読み終わって感じましたが、

私の想像は大体当たっておりました。

 

DSC01851-20-1.JPG

 

北条政子(1157~1225)は、源頼朝の妻。

伊豆の韮山で勢力を誇っていた北条時政の娘。

伊豆に流されていた源頼朝と恋仲となり結婚。

治承四年(1180)、頼朝は平家追討の挙兵を行うが

最初の石橋山の戦いで敗北するが、

立ち直った頼朝は、源氏ゆかりの地、

鎌倉に入り政子を迎える。

そして念願叶って平家を滅ぼす。

政子も征夷大将軍の夫人となる。

夫・頼朝の亡き後、「尼将軍」と呼ばれ、鎌倉幕府に君臨。

御家人達による合議制を幕府の基本方針とし、

これに反対する者は、身内であろうと、功労者であろうと、

容赦なく追い払った。

承久三年(1221)に起こった承久の乱では、

朝廷に立ち向かうことを恐れた御家人を統率して、

上京させた。

恐らく政子は日本の数少ない女性政治家の中で、

最も知名度の高い人物であろう

・・・と言う事になります。

 

DSC01849-50-20.JPG 

 

しかし、私の読んだ小説では、

頼朝と政子の出会いから

二男である、三代目の将軍「実朝」が

長男の二代目将軍の子「公暁」に暗殺され、

以後、この様な争いを避けるため

将軍は京の朝廷から受け入れ

実質上の政治は、政子の兄弟が行う

所謂、執権政治がこれから行われる所で

終わっています。

 

 

何時の時代も、

権力に対する勢力争いは起こります。

「北条政子」は源氏の頭領「頼朝」亡き後の

坂東武者の中心でもあり、

北条政権の礎を築いた女性でもありました。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

(おまけのひと言)

 

  自分が子供の頃、

毎年夏になると

親戚の家族と共に

鎌倉の海に出かけた事が

昨日の様です。

 

鎌倉から江ノ電に乗り

一駅目が「和田塚」です。

そこから、徒歩で10分ほどで

いつも行く保養所があります。

 

この「和田塚」こそが

鎌倉幕府の重鎮の 

和田義盛の住まい跡だとは

子供の私には考えも

及ばない事でした。


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永平寺ー(北陸の旅)その3 [歴史]

一乗谷の遺跡地から

車で15分ほどで「永平寺」に着きます。

DSC01511-15.JPG

参道の突き当たりまで車を進め

民芸品店兼食堂に車を停めました。

DSC01513-15.JPG

山門を通り、やや上り坂を歩きます。

DSC01516-15.JPG

写真ではわかりづらいのですが、

左右の幹の太さや寺院の造りの大きさに

圧倒されるものがあります。

DSC01519-15.JPG

左下の通用門を抜け、「吉祥閣」で若い元気な僧侶から

寺内の説明を受けます。

DSC01520-15.JPG

「永平寺」は1244年道元禅師により開かれた

座禅修行の道場です。

DSC01521-15.JPG

 ↑ 下り廊下。窓もひし形です。

   木製エスカレーターの様相です。

   (但し、自分で歩きます)。

DSC01523-15.JPG

建物内を見学するのですが、

その総距離は2キロあるのです。 

DSC01528-15.JPG

 DSC01532-15.JPG

建物内で、黒い袈裟(けさ)姿の修行僧に

直接カメラを向ける事は禁止されています。

DSC01534-15.JPG

幹もそうですが、

寺内のあらゆる造り物が大きいのです。

DSC01537-15.JPG

↑ 「報恩塔」・・・写経が収められています。

DSC01538-15.JPG

いつか、何処かで、何かで見た風景。

DSC01540-15.JPG

↑ 寺内を流れる「永平寺川」です。

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 (おまけのひと言)

 

 今回の旅行の

第一の目的は

ここ「永平寺」を

訪問する事でした。

 

 ここには

若い元気な

修行中の僧侶が沢山います。

 

彼らから受けた印象は、

体から脂分が抜け落ち

気持ちに裏がない

透明な感覚でした。

  

 受取ったパンフによると

女子校生の団体から

お年寄りの団体まで

沢山の座禅修行者が

3泊4日の日程で

修行をしている様です。

 

また、

お土産屋兼食堂で食べた

「永平寺そば」ですが、

いわゆる、観光地の

おそばの味ではなく

こしがあり

大変美味しい物で、

早速お土産に買込みました。

 

 


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北陸の旅ーその2(一乗谷) [歴史]

北陸旅行の2日目は

福井駅や福井インターから

車で30分ほど離れた所にある

「一乗谷(いちじょうだに)」に

出かけました。

永平寺-1.GIF

一乗谷とは、15世紀後半、戦国大名の朝倉氏が山城を築き

城下町を構えたところです。

 DSC01541-15.JPG

朝倉氏は5代100年続きましたが、

天正3年(1573年)織田信長との戦いに破れ、

町は消失しました。

DSC01547-15.JPG

NHK大河ドラマの戦国時代で、

信長、秀吉、家康を描く時

浅井・朝倉連合軍との戦いは必ず登場します。

DSC01542-15.JPG

ここで問題を出します。

織田信長に攻められた朝倉一族の一部が

越後(現在の新潟)に逃れ、時代は徳川に変わります。

彼らは、身を隠す為、

名字の一部の朝の字を変更し、「○倉」と名乗ります。

そして、時代は昭和20年代。

東京で喉自慢が流行ります。

ある歌の上手な少女が、新潟から上京して歌手になります。

さて、現在でも活躍している

朝倉一族の末裔の女性歌手は誰でしょうか?

答えは最後に書いておきます。

 DSC01546-15.JPG

↑ 戦いの15年後秀吉が朝倉義景の菩提を弔うため

  寄進したと伝えられる唐門。

DSC01549-15.JPG

 

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遺跡の後の山に生える竹林。

そう言えばここは

「越前竹人形の里」が近い。

DSC01544-15.JPG

↑ 跡地の中を流れる「一乗川」。

  この川の上流に行くと、

   江戸時代、佐々木小次郎が

  「燕返し」の秘術をあみ出した場所と言われる

  「一乗滝」があります。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

(おまけのひと言)

 

 一乗谷は、

歴史が大好きな

小生としては

一度は訪れて見たい場所の

ひとつでした。

  

さて、

先ほどの問題の答えですが、

「東京だよおっ母さん」

「カラタチ日記」

そして最近では

「人生いろいろ」を

ヒットさせたベテランの

女性演歌歌手の

あの人です。

 

そう、

「島倉千代子」さんです。


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「大正・昭和村」は何故出来ない [歴史]

  
先日、鳩山邦夫総務大臣が、
解体中の東京中央郵便局を視察した時に
「なぜ解体するのだ。即刻中止してもらいたい」と述べていた。
  
予定では、現在の建物の高さ程の新しい建物と
そのすぐ後に高層ビルを併設して建てるようだ。
 
 
 
gaikan.jpg
 
          (手前の低い5階建ての建物が東京中央郵便局)
 
 
 
私が二十代前後の頃、
この中央郵便局に通算4年ほどアルバイトに行った事がある。
 
仕事で、ビルの上から下まで色々な部署に配属された。
 
ビルの壁は、外も中も白1色の建物だ。
 
あの頃一緒に働いた人達は、
今頃どうしているのだろうか。
 
その建物が老朽化したので立て直す時が来たのだろう。
 
鳩山さんは、趣味が切手収集だそうで、
珍しい切手が発売された時は
彼もこの建物に買いに来ていたので、
その懐かしい建物を壊したくはないのだろう。
 
私も同感だ。
 
戦後に建てられた建物も、
既に64年は経過している。
 
それ以前に建てられたものは
既に耐久年数を越えてしまっている。
 
名古屋方面に「明治村」があり、
明治期に建てられた建物を沢山移築して
保存していると聞いた事がある。
 
博物館「明治村」↓
 
「大正や昭和初期の建物」も
そろそろ老朽化してきているので、
建物を解体し、
新しく建て直している建物も沢山ある。
 
何故、「大正・昭和村」を作り、
それらの建物を保存しようとしないのだろうか?
 
例えば、私が時々訪れる成田の近くの「房総の村」には、
「学習院初等科」の建物がひっそりと移築されている。
 
  gakusyuin02-72.jpg
 
  
 
 
 
 
 
 
  
 
 「房総の村」↓ 
 
 
 
この様に、ばらばらではなく、
集中的に場所を決めて、移築は出来ないものだろうか。
 
土地の余裕がありそうな、
関東近辺に土地を確保し、
沢山の建物を移築したらどうだろうか。
  
その村で、お年寄りは懐かしい思い出を見ることが出来るし、
若者には昔の建物を見せる事が出来る。
 
近くに温泉でもあれば1泊したあと、
ゆっくりその村の見学も出来る。
  
その地区の活性化と、「町起こし」にも繋がるだろうに・・・。
 
さらに、青梅市のように、
昔の映画の看板を掲げた地区でも設ければ、
さらにお年寄りは喜ぶだろうに。
 
「青梅宿映画看板街道」↓
 

 

どんなものだろうか?

 

 


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祖母方のルーツ [歴史]

 

先日、本家の伯母が、

祖母方のルーツに関わりのある資料の

コピーを送ってくれた。

 

 DSC00382.JPG

以前、我が家の祖先を遡ると、

「滋賀県の近江商人の出だ」と言う話は聞いた事があるが、

この資料で詳細を知る事が出来た。

 

 

地図で見ると、度々歴史に登場する場所の間の様だ。

 

admi25.gif

彦根市と安土町の間。

 

一度訪ねて、

クンタ・キンテを捜しに行こうか!


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今年の目標は、家系図の作成だ! [歴史]

今年の目標が決まった。
それは、私のルーツの家系図を作成する事だ!
 
話によると「家系図のソフト」があるそうで、
時々覗く、チャングム好き女性のブログには、
「それは簡単に出来る」と書いてあった。
 
私が家系図を作成する気になった
その経緯は、
以下です・・・・。
 
 
 
 
昨日の土曜日は
年1回の人間ドックの日
・・・・。
 
 
 
自宅を朝早くから出かけ、
「今年の検査結果は昨年より悪い気がする。
さてどうなるか」と訝(いぶか)りながら検査を受けた。
 
実は、昨年の最後の問診では、
再検査を指摘されてしまっているのだ。
 
しかし、今年は問診の結果、
意外な事に、全てがセーフだった。
 
この1年間、卵を控えた事位で、
他には何もしていなかった結果OKだった。
グー!
 
これで気兼ねなくお酒が飲める。
お酒を飲むと言っても、
翌日を考えて焼酎のお湯割り、
または、ニッカのウイスキーのお湯割りだ。
 
しかも、週2回しか飲まない。
真面目だな~。
 
 
 
 
お昼前に、人間ドックの検査が終わり、
午後、浅草の本家を訪問した。
 
しかし、
検査の終了時刻が早く終わってしまった為、
約束の時刻には少々時間があった。
 
このため、まず、日本橋の三越で、
お気に入りの、
S店のシュウマイをお土産として買い込んだ。
 
そして、次に、
地下鉄で銀座線の終点の浅草まで行く。
 
 (浅草雷門)↑
 
本家へは、
地下鉄で、ここから一駅で行けるのだ。
 
 
 
しかし、昼間の浅草は久しぶりなので、
近辺をうろうろしてみた。
 
 
 (電気ブランの神谷バー)↑
 
そして、午後1時過ぎに本家のチャイムを鳴らすと、
6歳年上の従兄弟がドアを開けてくれた。
 
すると彼は突然、
「今、火事がなかったか?」と私に聞いた。
 
振り向くと、道の遥か向こうで、
赤いランプが光っている。
やはり火事らしい。
 
しかし、
火事の現場とはかなり距離があるので、
そのまま家の中に入った。
 
家と言っても、
自宅で商売をしている関係で、
5階建ての4階に住まいはある。
 
相手はそう思っていないかも知れないが、
この6歳上の従兄弟は、親戚の中で、
自分と一番血が近い感じを受ける。
 
その従兄弟の母親の、
今年88歳になる伯母に会うのは久しぶりだ。
 
88歳と言う年齢を聞くと、
かなり高齢の様な印象を受けるが、
子供の頃から接しているので、
歳を感じない。
 
足がいくらか弱ったくらいで、
相変わらず口のほうは達者だ。
 
伯母の母親は100歳近くまで生きたから、
彼女も長生きだろう。
 
81歳で母を亡くしたこちらとしては、
羨ましい気がする。
 
子供の頃、この伯母には、
墨田川の水上バスや
三越のデパートに連れて行ってもらった事がある。
 
今考えると、本家に来たお嫁さんの立場として、
義理の妹の息子が遊びに来たので、
色々と気を使ってくれたのだろう。
 
私は、母親が亡くなった葬儀の際に、
本家から何人かの家族が、
葬儀に来てくれた事へのお礼を述べた。
 
この浅草の本家は母親の実家なのである。
 
食事の時間を外して、
午後1時過ぎに訪問の約束をしたのだが、
先方はまだ昼食をしてなかった様で、
お寿司の出前を取ってくれた。
 
こちらとしては、
非常に美味しいバリュームを飲んだ後、
監査の結果待ちの間に食事をしたので、
お寿司を少し摘んだだけで箸をおいた。
 
午前中に本家に電話した時に、
従兄弟が、「3時から出かける」と答えたので、
食事時間を外して、午後1時に本家を訪問し、
1時間位で引き上げるつもりでいた。
 
しかし、伯母が、
昔の写真を出してきて、
あれやこれやと昔の説明をしてくれたので、
こちらとしても、
母親に聞いていない部分があるので、
逆に色々と伯母に質問をした。
 
すると伯母は、自分の部屋に戻り、
レポート用紙に自分で書いた、
数枚の家系図の様な物を出して来た。
 
「うむうむ」と聞いている内に、
私は「これを、家系図のソフトで纏(まと)めてみるか」と言う
結論に達した。
 
今まで、冠婚葬祭で親戚筋に会う毎に、
「家系図はあるのか?」と聞いていたのだが、
誰も、部分的には知っているのみで、
全体的に書いた物はない様だった。
 
私自身も、誰かが、
いつか、
提示してくれるものかと思っていた。
 
しかし、
誰もその様な物は提示してくれなかった。
 
後々の冠婚葬祭の度に、
「この家系図は○○ちゃんが纏(まと)めてくれた」と言う話が出て、
この私が感謝される様に、
この伯母が元気な内に、
家系図を纏め上げてみたい。
 
これを今年の、
私の、
年間目標の一つにしてみようと思う!
 

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本日もまた雨 [歴史]

休日2日目。
 
本日も朝から雨。
それも激しい雨が降る。
 
昨日は午後から雨は上がったのだが、
本日は違うようだ。
 
2日間ノンビリしていると、やや退屈してくる。
 
夕方から図書館に出かけた。
ここに来るのは半年ぶりだろうか。
 
駐車場は満車で、館内も人が多い。
暖房が入っているのか、人が多いせいか、
館内は暖かい。
 
久しぶりに司馬遼太郎の本を借りてきた。
 
 
25・6歳の頃、彼の「坂本竜馬」を読んでから、
次々と彼の本を読むようになり、
以後、歴史小説が好きになり、
あらゆる歴史本を読んだ。
 
司馬遼の小説は、分かり易く書いてあり、
物事を砕いて書いてあるので、
楽に読んでいく事が出来る。
 
歴史小説が好きになったと言っても、
日本を含む東洋の歴史であり、
カタカナの多い西洋の歴史は読みたくはない。
 
出かける前に、3つ年上の先輩にメールをしたら、
「この雨の中に図書館に出かけるのか、若いなー」と
言う返信が来た。
 
最近あの人は、やや老け込んで来ているようだ。
 

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谷中霊園の見学 [歴史]

昨日、「鉄砲玉の照さん」のブログを書いた際に
「本日、山形から後輩のIG君が出て来ているのですが、
そちらはHM君に任せて、本日は骨休みです」と
書き込んだはずなのですが・・・。
 
その後、パソコンを閉じ、
何気なく携帯を見たら1件のメールが来ていました。
メールはHM君からで
「昼食が済んだら出て来ないか」と言うものでした。
まだ幾らか体に疲れを感じていた私は、
そのメールを見なかった事にして昼食を済ませました。
 
そして、2時間後、念のため携帯を覗くと、
今度は電話の着信履歴と伝言メモが
MH君から入っていました。
 
さすがの私も知らん顔は出来ないので、
一応返信メールをした後にシャワーを浴びました。
暫くしてから、彼に電話を入れると、
「HM、IG、KWさんの3名で現在巣鴨地蔵を
見学している最中です」との事でした。
 
IG君が、昨夜、大学OBの流通部会に出席した後、
「翌日そのまま帰るのは勿体無いので、
何処かに行きたい」と言い出し、
本日のこの状況になったようです。
 
そして、
彼等は「その後日暮里の谷中霊園に向かうので、
そこで合流しましょう」と言うのです。
 
私は、とうとう、出かけて行く羽目になり、
午後2時過ぎに電車に乗り込みました。
 
最近の電車の座席シートは、
1人づつ上手く座れる様に、座席が凹んでいます。
しかし、私の隣に座る若い男は太めで、
2割方は私の方にシートにはみ出していました。
彼は、向こうを見ながら、
盛んにゲームをし、コーラを飲んでいます。
 
学生時代の仲間で、
現在も130キロはあるだろうWB君が、
「食事の際には必ずサイダーを飲む」と言う話を
聞いた事があります。
肥満と炭酸は何か関係があるのかも知れません。
本日山形から上京しているIG君も、
最近は減量していると本人は主張していても、
我々の眼には100キロ近くはある様に見えます。
 
私は逆に痩せの大食いです。
 
しかし、若い頃からそんな太めの連中の
行動を多くみていますから、
彼等の状況は学習しているつもりです。
私は、このままきつい思いで乗って行くのは面倒なので、
電車が次の駅に到着した際、空いた反対側の席に移動しました。
そして、目を上げると、その太めの男の横には、
これまた太めの女性が座っていました。
このカップルが並んで座ったのでは、
私の席の分野まで2割方割り込んで来るのも
仕方がない事と納得致しました。
 
私が谷中霊園に行くのは今回が初めての事です。
 
駅を降りて、階段を上り歩いて行くと、
左右に石屋がありました。
さらに行くと、敷地の真ん中に交番があり、
道路を挟んで左右に霊園がありました。
 
まず見つけたのは、
交番の目の前にあった長谷川一夫のお墓でした。
それほど大きくない四角い敷地の中に、
新しくて背丈が低い、小さなお墓が4つほど並んでいて、
手前には長谷川と書かれたバケツが置かれていました。
道路沿いの、何でもない、こんな狭い所に、
あの銀幕の大スターが入っているとは
何となく信じられませんでした。
 
それと同時に、以前会社で、
40代中場の営業員と話をしていた時に、
何かの話の中で長谷川一夫の話をしたら、
彼は知らなかった事を思い出しました。
彼は、常識もユーモアも持ち合わせている人物なのですが、
世代が違うのでしょうか。
二枚目俳優の長谷川一夫を知らない年齢が、
もう40代半場まで来ていると言う事です。
 
 
 
その後、徳川慶喜のお墓も覗いてみました。
大きくて立派なお墓で、大きな灯篭が並んだ奥に在り、
一般の人は手前の鎖のある門から遠くにあるお墓を
眺める事しか出来ませんでした。
 
その他、明治大学創設者のお墓などがあり、
ちょっとした霊園ツアーでした。
 
そのままの流れで、寛永寺を見学後、上野公園を通り、
私が毎日前を通る、
地下レストランに入り、
生ビールを片手にお互いの近況を語り合いました。
そして、そこで2時間ほど語り合い、
山形新幹線に乗るIG君を見送り、解散致しました。
 
大学時代に同じクラブに属したオヤジ3名とおばさん1名が、
谷中霊園の中で見つけた、
主な有名人の経歴を一応以下に記しておきます。
この他にも渋沢栄一など沢山の歴史上の人物が
ここ谷中霊園に眠っているようです。
 
高橋お伝・・・・・明治時代に「希代の毒婦」として有名になった女性
長谷川一夫・・・戦前・戦後を通して映画で活躍した二枚目俳優。
          姪の裕見子の息子は船越英二
徳川慶喜・・・・・大政奉還により明治天皇に政権を返上した、
          徳川家の最後の将軍
 
 
(余談です)
私が通った高校の、校長先生の名前は松平、そして、
副校長の名前は徳川と言い、徳川慶喜と同じ
水戸徳川家の出身です。

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