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笑顔が素敵なYさんなのだが。 [思い出]

Yさんは、
私と同じ町に住む医院の長男で
下に2人の弟がいる。

子供の頃、
そろばん塾が彼と一緒で
一応顔見知りだったのだが、
私は歳の近い3男坊の方が
気が合った。


それから10年後、
大学浪人をしていた私は、
アルバイトで御徒町の
ある上場会社のビルの
清掃の仕事をしていた。

ある日の夜、
室内を清掃している時、
そこにYさんのサラリーマン姿を
見つけた。
おそらく、
彼は残業をしていたのだろう。

その日はクリスマスの日で、
派手なツリーの光や音楽が聴こえ、
浪人の私には
それが眩しく見えた。


それから10年後に、
私もサラリーマンとなった。

残業で、
帰りが遅くなったある日の夜、
私は電車に乗って帰宅の途についていた。

車両を前に移動している途中、
私の目にY先輩の姿が映った。

Y先輩は座席に座っていたのだが、
その両隣の席は空いていた。

彼の顔は赤ら顔で、
足元を見ると靴下のみで、
靴は履いていない。
お酒が入っているようだ。

彼は背が高く、
おまけに体重もある。

彼を知らない車中の人は、
皆彼を敬遠しているようだ。

彼を知る私も当然、
敬遠してその場を素通した。


更にそれから10年後。

私は所帯を持ち、生まれた町から
15キロほど離れた町に住んでいた。

ある日、
何かの用事で地元のコンビニに入った。

品物を探している内に、
白い帽子を被る店長の姿が目に入った。
それは、Yさんだった。


Yさんは確か、上場会社に勤めている
はずなのだが・・・・?
 

 

私は店長のYさんとおぼしき人物に近づき、

「Yさんでしょう?」と呟いたが

彼は、ただ素敵な笑顔で微笑んだ

だけだった。

 

酒の入らない時の彼は、

笑顔の素敵な人なのだ。


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夏休み [思い出]

imageCA390OY8.jpg
 
  
借りてきたこのイラストとはイメージが少し違うのだが、
夏の今頃になるといつも思い出すのは、
子供の頃の夏休みに、父親と共に田舎に行った時の事だ。
   
  
バス停を降りると雨が降ってきて、雷も鳴り始めた。
田舎の家の近くの竹薮のある小道を歩いていると、 
遠くに稲妻が何本も走る光景が見えた。
   
当時も今も、この地方の名物は、
干瓢(かんぴょう)と雷らしい。
 
 
夏休みというと
吉田拓郎のこの歌。
 
 
「姉さん先生」と言う表現が好きだ。
 
 

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あいつが立教にね! [思い出]

昨日は、高校時代の友人達と
久しぶりに再会しました。

集合場所は、池袋の西武線の
改札口前。

今回集まったのは全部で5人。

しかし、
予定の時刻になっても、
池袋駅から徒歩15分の、
集合場所に1番近い
オジサンが来ません。

暫く立ち話をしていると、
私の携帯が鳴り、
「すまん、昼寝をしてしまった」
との声が聞こえて来た。
相変わらずの彼です。

 

さい.GIF

 

では、と言う訳で、
彼のマンションと駅の中間にある
サイゼリアで待ち合わせる事に。

ここで2時間ほど昔話。


そして、場所を変えて
さくら水産に移動。

ここでも昔話のてんこ盛り。

 

title01.jpg


ここで初めて知った事ですが、
今回集まったH君の1年生の時の成績は、
クラスで下から2番目で、
親とともに担任に呼ばれ
「この成績では進級出来ない」
と言われていた事でした。

更に、
その時の最下位の成績者は、
太ったNくんである事が判明しました。

そして更に皮肉な事は、
その2年後、
その最下位の成績のNくんが、
我々が今回集まっていたお店の
直ぐ近くにある立教大学に、
現役で入学してしまった事でした。

「あいつがね~」。


そんな昔話をしていて、
気が付くと既に5時間が経過。

周りでは、
「良く話し、飲み、食う親父達だな」
と思われていた事でしょう。

たまには昔話も良いものです。


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窓の外は群青色 [思い出]

 

季節もいつの間にか2月の下旬になり

寒さの中にもいくらか春を感じる

ここ数日間。

 

最近の私は、夜も9時を過ぎる頃には
自然にベッドに足が向き、
分厚い布団の中に潜り込んでしまう。

 

そして、横向きでテレビを見るのだが、
それも30分ほどで消してしまい
ラジオに切り替える。

紛らわしいが、
ラジオでテレビの音を聴くのだ。

 

しかし、この方法も7月の地デジの切り替え時には
出来なくなるという話だ。

そして、ラジオのタイマーを30分にセットして聴いていると
いつの間にか寝入ってしまっている。

 

目が覚めて時計を見ると午前4時。

 

しばらくすると窓の外から

朝刊を配るオートバイの音が聞こえてくる。

 

既に睡眠は6時間ほどはとっているので

すぐには寝る事は出来ない。


そこでまたラジオを点ける。


昼は文化放送のファンだが

夜はNHKに限る。

 

ラジオからは、

「グッドバイ、グッドバイ、グッドバイバイ~♪」とか、

「あの町この町日が暮れる~♪、日が暮れる~」と言う歌や

「今~年六十のお爺さん~♪」などの懐かしい童謡が流れてきて、

一瞬で私を子供の頃に戻してくれる。

 

小学校の4年の頃だったか、

今頃の季節に「はしか」にかかった事がある。


その日は、学校を休んで一日寝ていなければならなかった。

しかし、気持ちだけは元気であり、

しかも昼間だから眠る事は出来ない。


退屈まぎれに、

天井の模様を見たり、ガラス窓から空を見たりしていた。


その時、

窓の外の空が、

鮮やかな群青色であった事を思い出す。

 

今頃の季節になると

時々この窓の外の情景が浮かんでくる。

 

谷村新司の「群青」を聞いてみよう。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

(おまけの一言)

 

昨日、

ニュージーランドで

大きな地震があった。

 

そのニュースを聞いてすぐ、

近々あちらに旅行すると言う

友人にメールをした。

 

地震国日本も他人事ではない。 

 

けが人が少なければ良いが。

 


タグ:NHK 群青 童謡
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昭和の遠い思い出! [思い出]

先日、

Mさんの「母親が亡くなった」

という「回覧板」が回ってきた。

 

Mさんと私は

小学校時代の

クラスメートだ。

 


子供の頃、

Mさんの家は旧道沿いの駄菓子屋で、

赤い口紅をさして、丸顔の、

ちょっぴり綺麗なお母さんが

いつもそこのお店番をしていた。

 

 
小学校の1年の頃だったか、

黄緑色の10円札を手にして、

その駄菓子屋に買いに行った記憶がある。

 

私が、その10円札を使ったのはその時限りで

そのお札は、

いつの間にか世の中から消えてしまった。

 

昔-1.GIF

 

その駄菓子屋の隣に住んでいたのが、

やはり同級生で、

今回の回覧板が回るより早く

情報をくれた「アイ」君だ。

 

 
彼の家の敷地は広くて、

おそらく2~3千坪位はあると思われる。

 

何時だったか、

「アイ」君の祖父が東京から帰った時、

「上着やズボンの中に

沢山のお札の束を

ぎゅうぎゅうに詰め込んで歩いていた」と

私の父親が語っていた事がある。

 
おそらくそれは、

戦後の猛烈なインフレの時の話かも知れない。

 

みんな、みんな

昭和の遠い思い出だ!

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

(おまけのひと言)

 

昨日、仕事中に

竹馬の友から

携帯に電話があった。

 

「今、吉高の桜を見に来ているぞ!」

と言う連絡だった。

 

早速、本日の午後に

出かけてみよう。

 

しかし、

「この花が咲いた」と

新聞に出ていたから

混むかも知れないな。

 

 

 


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子供の頃の「銭湯」 [思い出]

夕方、我が家の2階に上がり、
そこから西の方角を見ると、
夕日をバックに、とても大きなケヤキの
木を望む事が出来る。

暫らくその景色を見つめていると、
遥か昔の子供の頃の情景が
浮かんでくる事がある。

当時、我が家から西の方角には
お風呂屋があった。

img20090214230725188-50-60.JPG


その頃の我が家での私の役目は、
お風呂屋の煙突から、
煙が昇っているかどうかを確認する事だっ
た。

煙が昇っているのを見つけると、
私はすぐさま母親にそれを知らせた。


家族でお風呂屋に出かけるためだ。

私が子供の頃は、どの家庭にも
お風呂などはない。
それが当たり前の時代であった。
 

一方、母親の実家は浅草である。
子供の頃は、良く泊り込みで
遊びに行ったものだ。

勿論、当時、親戚の家にも
自宅にお風呂などはなかった。

午後の3時頃になると、
従兄弟や近所の男の子達と連なり
一番乗りでお風呂屋に出かける。
 
hujisan1.jpg
 
何処のお風呂屋にも、
壁一面に富士山の絵が
描かれていた。
 
お風呂屋は銭湯とも言う。
 
誰もいない広い銭湯は、
子供達の天下だった。

しかし、暫くすると、
ガラガラと言う扉を開ける音がして、
お年寄り達が入ってくる。
近所のご隠居さん達だ。

彼らは熱い風呂が好きなのだが、
子供達にその熱さは耐えられない。

水道の蛇口をひねり、
水で熱いお風呂を
温くしようとすると、
すぐさま年寄り達に
怒られたものだ。

 
それから数十年たった現在、
私も熱いお風呂が好きになった。

そして、
休日の贅沢の一つとして、
明るい時刻に自宅のお風呂に入り、
「銭湯に入る気分を味わう」事が
私の楽しみの一つになった。
  
 ayahadio_4540208100141.jpg
 
 
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
(おまけのひと言)
 
 
先日の日曜日の朝だったか、
まだ布団の中にいた私の耳に
ウグイスの鳴き声が聞こえてきた。
 
 様子からして
そのウグイスは我が家の庭に
来ている様だった。
 
何かの実を探している
のかも知れない。
 
そして、鳴き方も
まだ上手くはない。
 
昨年は、
ウグイスの鳴き声が
夏になるくらいまで
聞こえていた。
 
今年も、
あのウグイスが
私の耳を
沢山楽しませて
くれそうだ。

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2度目の新宿「思い出横丁」 [思い出]

先日の節分の日、

山形から後輩君が上京したので

新宿に集合してみました。

 

 
同級生のTくんのお店の前に集合後、

近くのビルの上の

和風居酒屋に座り込むと、

目の前に、

細長い窓ガラスが広がっていました。

 

そこには、伊勢丹デパートの建物が見え、

暫くすると、

ちらほらと雪が舞い降りて行くのが

見えました。

snow3.gif

 
我々の好きな、

「雪が降ってきた~♪、ほんの少しだけーれーど、

つもりそーな雪だった!」という歌を思い出します。

 


そうです、

学生時代に、我々は、

歌のクラブに所属していたのです。

 

ss-bg.gif

 

ふと手にしたビールを見ると

グラスもいくらか凍らせてある様で、

そこにも氷の結晶がありました。

 


小1時間そのお店で過ごした後、

後輩くんが「思い出横丁に行って見たい」と

言い出したので、新宿駅方面に向かいました。

 

途中ににアルタがありますので、

少し覗いてみると

下から上の階まで、

女性用のファッション関係のお店ばかりです。

 

我々の知る「二幸」の面影は

何処にもありません。

 

高校時代、友人が

お惣菜屋の「二幸」でアルバイトをしていたので

覗きに行った事がありましたが、

彼は、医者が着る白衣の様な上着を着て

お惣菜を販売していました。

 

当時、食べ物を販売する人は

皆その様な格好をしていました。

 

その習慣もいつの間にか

世の中から消えてしまっています。

 


 

そして、我々は

JRの線路を越えて西口へ向いました。

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この「思い出横丁」に入るのは

これで2度目です。

 

以前は、同じクラブの先輩が

松本から上京した日です。

 

この横丁で入った「ひさご」に

前厚生労働大臣の枡添要一似の店主がいて、

戦後の闇市、三国人、

横丁の名称の変更などの話を聞きました。、

 

この続きは、

後輩くんが2月6日(前半)のブログで

紹介していますので

そちらをご覧下さい。↓

 http://topsytimes.jugem.jp/

( ↑ 開く際、少々時間がかかるかも知れませんが、ご了承下さい)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

(おまけのひと言)

 

新宿に行った時も降りましたが

今週は2日も雪が降りました。

 

実は、現在

我が家は壁の塗り替えの

真っ最中なのです。

 

雪のお陰で

作業の予定が

延びてしまいそうです。

(涙!)

 

 
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小学校のクラス会 [思い出]

昨日の夕方から、

1年半ぶりに小学校のクラス会が

開かれたので参加してきました。

 

DSC01809-15.JPG

↑ 今回、クラス会が開かれた駅前のお店。

  昨年は、線路向こうに小さく赤く見える看板の

  お店で開催されました。

 

当初は、36名の参加予定でしたが、

32名の参加となりました。

 

32名と言うとかなり多そうですが、

我々の世代は人数が多く、

出席率としては60パーセントほどです。

 

最近は少子高齢化で、

1クラス20名くらいの人数に

2名の担任が付いているとかで、

我々が子供の頃の先生は

さぞ、大変な気苦労があったのでは

ないかと想像出来ます。

 

今回は、「恩師が春に叙勲した事」

へのお祝いで集まりました。

 

夏には成田のホテルでお祝いのパーティーがあり、

その中で、我々と先生との繫がりが話題になりました。

 

我々の子供の頃の恩師は、

暴力あり、涙ありの激情型で、

本人もおっしゃる通り、

今だったら、暴力先生として

即首になっているかも知れません。

 

その先生と我々との繫がりが、

2週間前の新聞「千葉日報」に

写真入りで紹介されていたので

そのコピーが回覧されました。

 

今回、

「常連参加者」が数名欠席しましたが、

反対に

「常連欠席者」が何名かが

参加してくれました。

 

そして、

「常連出席参加者」の旧姓Iさんが、

このブログを閲覧してくれているそうなので

彼女に時々コメントを寄せてくれる様

頼んでおきました。 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 (おまけのひと言)

 

 今回、幹事から

「訃報が1名出た」と

 報告がありました。

 

都内でタクシーの

運ちゃんをしていた 

Kくんです。

 

 彼は、

背丈が180センチの長身で

あだ名は「ピノチオ」。

 

原因は、

毎晩の「お酒」の飲みすぎ。

 

私も気をつけ様!

 

・・・・・・・・・・・ 

 

 (もう一つおまけ)

 

昨夜は飲みすぎたので

本日の休日散歩は

少々早足で歩く。

200911081506001.jpg

途中の休憩した場所で見かけた

「白いヨット」と「白い白鳥」。

 

そして、帰りの花屋で

買い込んだ「シクラメンの花」。

DSC01834-10.JPG

我が部屋にも

癒しが必要と考えた

末の結論です。

 

 

 

 


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新型インフルエンザって? [思い出]

今朝の新聞を読むと、

私の住む町の中学で、

「学校閉鎖が1校、小学校で学級閉鎖が2つあります」

と紹介されていた。

 

 

遥かな自分の記憶を遡ると、

自分が中学1年生の時、

やはりインフルエンザが流行り、

私は3日間寝込んだ事がある。

 

 

その間、喉に入るのは水だけで

食べ物が受付なかった記憶がある。

 

連日学級閉鎖が行われ、

隣のクラスが学級閉鎖された時は

羨ましかったものだ。

 

しかし、

友人のSくんは

そのインフルエンザが流行っていた期間にも罹らず、

私が「うんうん」唸っている時に

見舞いに来てくれた事がある。

 

 

 

この時初めて、

「健康である事は素晴らしい事だ」と感じたものだ。

  

あれから何十年も経過しているのに

未だ、新型インフルエンザが流行っている。

 

そして、同じく

あれから何十年も経過しているのに、

S君は、未だ友人として

先週私に、車の掃除機を届けてくれた。

 

「インフルエンザ」って

何だろうか?


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閉店の張り紙 [思い出]

先日、知り合いのおすし屋の前を通ると、

入り口の硝子戸に「2月10日でお店を閉めます」という

張り紙が貼ってありました。

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このお店のご夫婦と、

私や四六さんとは35年来の付き合いです。

 

 
旦那は元気な人で、その声はいつもしわがれていました。

 
風貌や態度は、何処となく落語家の談志師匠に似ています。

 
そこのすし屋の旦那からは、

四六さんは「ちゃん」付けで、

私は「君」付けで呼ばれていました。

  


一緒にゴルフや海に出かけた事もありました。

 
しかし、数年前にその旦那が病気で亡くなり、
次男坊がその後を継いで、
結構繁盛していると思っていたのですが・・・、
お店を閉鎖とは大変残念です。

 

 
そのおすし屋の前の大通りを渡り、

100メートルほど行くと、
割烹風の小きれいな居酒屋がありました。

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その店のご主人は、

私が生まれた土地の出身者で、

土地の内情は私より詳しく知っていました。

 

こちらは20年来の知り合いでした。

 
しかし、こちらのご主人も、

やはり数年前に亡くなり

お店は息子が継いでいましたが、

やはり上手く行かず、

昨年の春お店を閉じました。

 

 

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先ほどのおすし屋の店の名前は、

夫婦の名前を一字ずつ足した店名で、

居酒屋の方は、ご主人の名前でした。

 

この様に、

以前から懇意にしていた人達が次々と亡くなり、

その影響で、

お店も閉店してしまうのは何とも寂しいものです。


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