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ドイツの旅(その15)ミュンヘンへの移動 [外国]

さて、ベルリン、フランクフルトと滞在した

我々の旅もいよいよ後半に入ります。

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早朝、フランクフルト駅からICEに乗り

3時間かけて最後の訪問地

ミュンヘンに向かいます。

 

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前日から、友人が望むので500円を支払い

「指定席」を購入しました。

ホームの掲示板を見て、一番後ろの列車だと思い

乗り込もうとしましたが、横にいた女性に

「フロント、フロント!」と言われ気づきました。

一番後ろでなく、逆に一番前の車両の席の様です。

 

発車時刻が迫っているので、列車に乗り込み

車内を歩き前方に向かいます。

しかし・・・・。

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↑ ここが一番先頭です。運転手はいません。

そして、もうこれ以上前には行けません。

 

前を良く見ると、同じ車両が前に連結されています。

そうです、山形新幹線や秋田新幹線の様に

連結車両が2つに分かれていて、

各々行き先が違う様です。

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「次の駅で前の車両に移動して・・・」などと

野暮な事は考えずに 、諦めて、

2車両目の一番前の自由席に座りました。

 

リックを背中に背負い、重いトランクを押して、

あわてて車両間を移動したくはありません。

のんびりと旅を楽しみましょう。[新幹線]

 

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↑ マイン川です。全長524キロあります。

ドイツ中部を流れる川で、フランクフルト近辺で

昨日観光したライン川に合流します。

 

我々が座る席の右隣に、インド系の男性がいました。 

少し珍しい事です。そこで気づきましたが、

今まで、あちこち海外旅行をしましたが、

その時見かける旅行者は、白人と黄色人種だけでした。

インド系、アラブ系、アフリカ系は目にした事はありません。

 

今、ここ欧州の目の前で「アラブの春」の嵐が

吹き荒れています。

アラブには沢山の石油の富がありますが、

その富を一部の人達だけが得ています。

その事に国民が目覚めたのでしょう。

いずれ、彼ら国民も、私達日本人の庶民が

今回旅行を楽しめたと同じ様に、

自由に旅行を楽しめる時代が

来る事を願っています。

 

↓ 列車はヴォルツブルグに着きました。

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この町はフランケン地方の中心都市で、

「ロマンティック街道」の北の起点です。

この「ロマンティック街道」の名前の由来は

第二次大戦の時、米国軍がドイツに侵攻する際、

あまりに素敵な景色なので、

彼らに名付けられたと記憶しています。

今回は時間がありませんので、

次回、訪問する際は、この街道を中心に

旅をしたいと思います。

 

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↑ 駅のホームにある椅子です。

 

 

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↑ 英語読みだと良く分らない駅ですが、

  ニュールンベルグ駅です。

 

歴史の教科書でおなじみの、ナチに対する

「ニュールンベルグ裁判」はここで行われました。 

現在は、人口50万人のおもちゃの町です。

何故ここで裁判が行われたかと言うと、

1933年に、ここで第1回のナチ党大会が行われ

その記念物が建てられた事が原因の様です。

その結果、90%近くが戦争で破壊されました。

 

当時、ドイツと同盟国の日本も、同じように

国内のあらゆる町が破壊された事を

歴史の教科書で習った事を思い出しました。

 

あと1時間ほどで

ミュンヘンに着きます。

 

 

 


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