ジョン万次郎「椿と花水木」 [歴史]
自宅では絶対にしない事ですが、
仕事場で昼食を取る時、
私は、
つい新聞を読みながら食べてしまいます。
その行為は、
お行儀の悪い事で、
子供の頃、
父親に良く注意された事でありますが、
何故だか止められません。
見る新聞は、
つまらない経済新聞なのですが、
裏面の「私の履歴書」は
私の愛読コーナーなのです。
つい先日、そのコーナーで、
歴史や剣豪小説を書く
津本陽さんの人生録が連載されていました。
彼の小説は「下天は夢か」と言う
織田信長を綴った物は読んだ事はありますが、
その他は読んだ事がありませんでしたので、
図書館に行き彼のエッセイー集を読んで見ました。
その中に
「椿と花水木」」と言う題名で
「ジョン万次郎」の生涯を描いた小説を見つけました。
その本を借りてきて
今、盛んに読んでいる最中です。
以前、他の人の「ジョン万次郎」の
小説を読んだ事はありますが
何回読んでも、引き付けられる人物です。
ジョン万次郎は1827年に、
四国の高知県、
現在の土佐清水市中浜地区で
漁師の次男坊として生まれました。
ある日、5人で漁に出た時、
潮に流されて数日間 漂流して、
四国からはるか北の関東まで流され
下の絵の中の、八丈島と小笠原の中間の
「鳥島」にたどり着きました。
鳥が羽を休めた様な島の「鳥島」。
この島に5人が上陸したのが1841年。
ジョン万次郎が14歳の時です。
この、現在でも無人島の島で
水と食料で苦労して生活して5ヶ月目。
偶然、米国の捕鯨船が、
海亀の卵を取りに来た時に
彼等は救助されます。
その後、万次郎達は「ハワイ」に寄航し
4人はハワイに残りますが、
船長に気に入られた万次郎だけが再度船に乗ります。
そして、南太平洋のタヒチなどの島々に寄航後、
北上して「グアム」「フィリピン」「台湾沖」
そして「日本の金華山沖」を航海します。
その頃の日本は鎖国をしていて、
外国船が来ると大砲を撃ちつけて来るので
万次郎が日本に帰ろうにも帰れません。
そしてその後、
世界地図上のピンクの線を航海して
米国に上陸します。
( 続 く )
・・・・・・・・・・・・・
(おまけのひと言)
当時の日本の漁師に
名字は許されていず
彼は只の万次郎でした。
しかし、
彼等を救助した捕鯨船の
「ジョン・ハラウンド号」にちなみ
メリケ(アメリカ人)が彼を
「ジョン万次郎」と
呼ぶ様になりました。
ジョン万次郎、数奇な運命ですよね。
14才と言えば、長男と同じ年です。すごいな~。
後半の紹介を楽しみにしています。
小説も色々読みたいですがなかなか読めません。
今年は新しい韓ドラには手をつけずに
今まで録画して観ていないドラマ(ホジュンとか^^;;;)を
ゆっくり観ながら、本も少し読みたいなぁと思っています。
面白い本があったらご紹介くださいね。
by 虹子 (2010-01-12 21:18)
虹子さん、
ホジュンは絶対に見て下さいね。
はまりますよ~。
今見ているイジュマも医師の物語ですが、
韓国では、医学の本を書いたのはこの2人
だけのようですよ。
万次郎の本は500ページくらいあるので
いまやっと半分ほどきました。
NHKの坂本龍馬にも強い影響を与えた人物で、
大統領から万次郎の子孫に手紙が来ていたようです。
by yamagtxp (2010-01-13 18:21)