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「湯殿山神社への参拝」・・・東北の旅ーその3 [旅行]

  
さて、「可愛そうなタヌキ」をやり過ごして我々は
一路「月山」方面へ向かいます。
 
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「月山スキー場」といえば、
遅い時期までスキーを楽しめる事で有名です。
 
しかし、ここでスキーが出来るのは、
春から夏にかけての
4月から7月です。
 
さて「何故、冬場はスキーが出来ないのでしょうか?」
・・・答えは最後に書いておきます。
  
 
途中の休憩所です。
 
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向こうに半分雲に隠れた「月山」が望めます。
 
ここで後輩くんが
「ここに駐車している車が全て県外だ!」と
満足しておりました。
 
見ると山形ナンバーの車はありません。
 
 
ここで天候の話です。
 
今朝方は、一時青空は見えましたが、
その後はやはり曇り空です。
 
しかし、車が「月山第一トンネル」を抜けると
そこには、驚くほど雲ひとつない
青空の別世界がありました。
 
(ちなみに、帰りに逆のコースをたどった時、
青空の世界」から一転して
「曇天の世界」に戻りました。)
 
我々は、高い山を境に、
天候が一変する様子を
まさに、ここで実感出来ました。
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車窓から見える景色は全て紅葉です
  
そして、ここに着きました。↓
「赤い鳥居」と雲に隠れた「湯殿山」です。
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バスで5分ほど登った先に「湯殿山」神社はあります。
 
 
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しかし、
ここから先は「神の領域」のため撮影は出来ません。
 
参拝するには、靴を脱ぎ、
素足で冷たい岩盤を歩いていかなければなりません。
 
沢山の老若男女、そして子供の姿も見えます。
  
暫らく行くと、薄茶色の小山があります。
 
そこから、湯気が昇り、熱いお湯が流れています。
そこで全員がお祓(はら)いを受け、
その小山の上に登ります。
 
そして、最後は「足湯」で足を暖かくして帰途につきます。
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帰りは「月山湖」を望みながら、
山形名物のお蕎麦を頂きました。
 
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こんな辺鄙(へんぴ)な
一軒家のお蕎麦やにも拘わらず満員です。
 
 
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このお蕎麦は「板そば」と言います。↓
 
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打ったお蕎麦を板に並べ、ご近所におすそ分けするので
「板そば」と言うとか。
 
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壁にはクマの毛皮が。↑
 
こちらでは、タヌキやクマの出現は、
当たり前の出来事の様です。
 
 
 
今回は、そんな山形の旅をしてきました。
 
そして、我々が
一路東京を目指して
赤湯を出発したのが午後3時半です。
 
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福島インターから東北道に入りましたが、
案の定、日光で紅葉を見学した人達のせいか、
大渋滞の様相。
  
結果、行きも帰りも「常磐道」を利用して
帰宅につきました。
  
お陰様で、
今回は珍しく「渋滞」と言う言葉には
縁のない旅をする事が出来ました。
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 
 
 (おまけのひと言)
 
今回の「湯殿山」における、
あの霊験あらたかな雰囲気は
初めての経験でした。
  
お土産に
「霊峰三山」のお札を買い、
自宅の壁に掲げました。
 
因みに「霊峰三山」とは、
出羽地方の山岳信仰の
対象となっている
羽黒山、月山、
そして湯殿山を言います。
  
「月山スキー場」の答えです。
 
月山は、冬は余りにも雪の量が多くて、
スキー場に入れず、
一般のスキー場と少し季節がずれて
「春から夏にスキーを楽しめる」
スキー場なのだそうです。

タグ:月山 湯殿山
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置賜・・・東北旅行ーその2 [旅行]

私が今回訪れたのは、山形県南部の赤湯ですが、
その近辺は「置賜(おきたま)地方」と呼ぶそうです。

 
ウイキペディアでは確認出来ませんでしたが、
後輩君の話では、
置賜とは、「嘗て天皇が所有していた土地」を
賜(たまわ)った事からそう言われているとの事です。

 

 さて、我々の車が「夕焼け街道」の米沢を抜けて、

宿泊先(↓)にたどり着いたのは午後5時半です。

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直ぐに露天風呂に飛び込みましたが、

空を見上げると、残念ながら曇天です。

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↑我々が宿泊した、アメリカ風のトレーラー・ハウス。

 部屋の名前は「イリノイ」。

 

ここで暫らく休憩後、

後輩くんの自宅に向かいました。

 

実は後輩くんの自宅は

併設してスナックを開いていますが、

既にお客さんが5~6人いました。

皆さん地元の顔なじみに様です。

 

ここで、地酒、芋煮その他沢山の

料理を頂きながらの昔話。

 

そして、お神酒が廻った頃、

お客さんを巻き込んで

店内は「歌声喫茶」の状態と

あいなりました。

 

「遠い世界に」「イムジン河」

「思い出の外国船」等など・・・♪♪♪。

歌声と共に夜は更けて行きます。 

 

そして翌朝。 

近くの「熊野大社」を覗いてみました。

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↓ 階段を上ると社(やしろ)が。

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 ↓ この鐘は1600年半ば、直江兼続の家臣が寄贈した物で、

   第二次大戦の金属の供出時もそれを免れた様です。

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 ↓ ドキッとしますが、「大麻」とは

   細長いお札の事です。

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NHK大河ドラマのポスターはここにもありました。

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その後、我々は

一路「月山」を目指します。

 

4人を乗せた車が

30分ほど走った頃、

道路に黒い塊が見えました。

 

「何だあれは?」

「あれはタヌキです」。

そうです、

可愛そうに

タヌキが車に轢かれていたのです。

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畑や人家のある道に

タヌキが出現していたのです。

 

この後、我々は霊験あらたかな

「湯殿山神社」に向います。

 

( 続 く )

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 (おまけのひと言)

 

車を走らせていると

色々な黄色い標識を

見かけますが、

「タヌキに注意!」

の標識は本当でした。

 

初めてみました。


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東北旅行-1(会津) [旅行]

  

10月24日から25日にかけて

東北の福島や山形に出かけてきました。

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1ヶ月前は左方面の金沢に行きましたが、

今度は右方面に出かけます。

 

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学生時代の友人達と出かけましたが、

1年前に松本に出かけた時と同じ

新宿駅前に集合です。

 

1ヶ月前の金沢旅行には、

1200キロほど運転をしていますので

今回は、後の席に座ったまま、

運転は彼等にお任せです。

(非常に楽ちんでした~!)。

 

予定では、東北道を行くはずだったのですが、

「2ヶ所で事故が発生」との情報が入りましたので

常磐道を進みました。

 

結果、自宅を出てから、2時間後に

「自宅近辺を通過する」と言う事にあいなりました。

 

そして、

お昼頃に、会津磐梯山が見える所に到着。

 

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会津は、完全に紅葉しています。

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↓ 子供の頃、女の子が良くこんな歌を歌って

   遊んでいた事を思い出しました。

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↓ 休憩所から少し行くと、

  白虎隊で有名な鶴ヶ城があります。 

 

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ここも紅葉だらけです。

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あちこちに、上杉謙信、上杉景勝、

そして、直江兼続の文字が目に入ります。

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その後、喜多方を通過して、赤湯に向います。

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米沢は夕焼け街道です。

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( 続 く )

  

・・・・・・・・・・

 

(おまけのひと言)

 

今回は、

山形の後輩くんの「お宅訪問」が 

目的だったのですが、

結果は、

「上杉の地」を訪問していたのです。

 

上杉藩は、

新潟県の長岡→新潟県上越の春日山

→福島県の会津→山形県の米沢と移り

「明治」を迎えたのです。

 

 


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北陸の旅(その4)ー総集編 [旅行]

これまでに3回、

「北陸への旅行記」を書きましたが、

今回の総集編で終了したいと思います。

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 ↑ 旅行の初日。天気は晴れ(私は晴れ男ですので・・・)。

   関越自動車道の藤岡ジャンクションを左折して、

   上信越自動車道に入り、

   いくらかほっとして車を走らせているところです。

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↑ 千葉→東京→埼玉→群馬→長野→新潟まで走ると

    ようやく日本海が見てきました。 上越市の海です。

 

 

 ↓ 金沢で1泊後、翌日はここを訪れました。

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海に出るまでの途中、左右にお土産店が50軒ほどあるのですが
その半数はお店を閉めています。
 
不況の影響は、景勝地のここまで押寄せている様です。
 
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2泊金沢のホテルに宿泊したのですが、
「まず遠い所から見るか」と思っていたので、
金沢を見学したのは3日目です。↓
 
 
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 ホテルからわずか徒歩5分で「兼六園」に着きます。
 
 加賀藩5代藩主の前田綱紀が築いた庭園です。 
 
 
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この庭園は、日本三名園の一つと言われていますが、
さて他の2つは何処でしたっけ?
 
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↓ 兼六園の向かい側に、「金沢城公園」が見えます。
   
   東映の時代劇映画が浮かびました。
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↓ 我々は金沢城公園の隣の、
  大正時代風のホテルに宿泊しました。
小じんまりとしたレトロなホテルで、プールもありました。
 
大正時代の建物でプールが付いているのですから、
当時はかなりグレードの高いクラスである事が想像出来ますが、
私はネットで申し込み、駐車場無料+兼六園見学券付きの
お安いセット料金で宿泊しました。
 
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3日目の朝、食事を取る為、バイキング料理の列に並んでいると、
私の後から、頭髪をモヒカン調にしている、浅黒い大男が歩いて
来ました
 
すると女房が私に「ブラザー・トムよ」と呟きました。
そう言えば何度かテレビで見た事のある人物でしたが、
何をしている人物なのか私は知りません。
 
 
 
新聞を見ると、写真入りで、毎日松井の活躍が紹介されています。
また、彼のミュージアムが見学コースにも入っていました。 
 
北陸地方のスターは、何と言ってもヤンキースの松井の様です。
 
 
 
以上、
たった3日間の旅でしたが、
北陸地方の人達の人柄は、
シャイでソフトな感じを受けました。
  
しかし、
一度話し出すと止まらない
という面もある様です。
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
  
 (おまけのひと言)
  
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旅行の途中、 
行き帰りと、
群馬県の妙義山を
眺めながら
車を走らせました。
  
 しかし、その時
あの山中に
漫画「クレヨンしんちゃん」の
作者が遭難しているとは
思いも寄りませんでした。
  
ご冥福をお祈りします。
 
 
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北陸の旅ーその1(駅) [旅行]

日本地図を見ていて、私にとって、
今まで国内で訪れた事のない地区は
沢山あります。
  
今回は、その内の一つで、
私の人生の中で、
まるで縁のなかった、
北陸地方を旅してきました。
 
 

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北陸に行くには電車で行くのが楽なのでしょうが、
荷物の事を考え、自宅から車で出かける事にしました。

 
お陰様で、この3日間で、1都8県を、
車で往復1200キロは走った事になりました。
 
 
旅行の感想を何回かに分けて記載して行きますが、
今回は「県庁所在地の駅」を紹介します
 
 
 
 「富山駅」
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 ↑ 懐かしい「昭和」の雰囲気がある改札口
 
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↑ 富山は昔から薬の行商で名高い地方。
  彼らは全国に薬を販売して歩いたのですが
  その商い方法は「先用後利」と言うそうです。
 
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 ↑ 駅前
 
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↑ この市電は、荒川線の都電と同じ形です。
 
 
「福井駅」
 
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 ↑ 駅員が、何故か「いらっしゃいませ!」を連呼していた。
   関東では 「おはようございます!」、
   「行ってらっしゃいませ!」とは言うが、この言葉は使わない。
 
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この地方は冬場は雪が多いのでアーケードが続く。
 
私の子供の頃、小学校の教科書に「雁木(がんぎ)」として、
木製のアーケードの写真が掲載されていた事を思い出す。
 
平日の昼なのに、何故か人通りがなく閑散としている。
 
 
「金沢駅」
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 ↑ お城の門をイメージさせる駅の入り口
 
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        ↑ 近代的な駅の構内
 
 
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    大都会を連想させる駅前の建物
 
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 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 
 
 
 (おまけのひと言)
 
 
自家用車で出かけたのに 
「富山」「福井」「金沢」の
電車の3つの駅を訪ねたのは
私もいくらか「鉄男」なのです。
  
 
鉄男とは、鉄道が好きな男性で、
女性の場合は鉄子と言う様です。
 
 
 一般的には、3つの駅の内、
近代的で派手な
金沢が好まれるのでしょうが、
私的には、
昭和の匂いが残る
「富山駅」が好みなのです。 
 
 

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信州の旅ーりんご園 [旅行]

(前回の続き)

信州の旅、2日目の松本の空は

またも青空です。

 

すてきな松本城の風景は、

すぐに時代劇に登場しそうです。

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時刻は午前8時。

少し寒さを感じますが、気持ちの良い朝です。

我々4人は、お城の周りを散歩しました。

 

ふと気が付くと、

大阪から来た彼が、ひとり遅れて歩いています。

我々「何しているんだ~?」。

彼「女房に、おはようコールをしているんだよ」。

彼の携帯の待受け画面を見ると、

そこに写るのは、何と、自分の奥様の写真でした。

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ここで、我々A型とO型の3名は、

大阪から来たB型人間の

典型的な行動パターンを見せつけられ、

3歩ほど後ずさりをしかけました。

 

彼の奥様は、ピアノの先生で、

時々、コンサート等も

開催している才媛だそうです。

 

我々は、お城を一回りした後、

喫茶店で美味しいモーニングを食べ、

先輩のお店に帰り、

彼とお別れの挨拶をした後、

昨夜知り合った、先輩の高校の後輩の家に向かいました。

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北アルプスの山々が見えます。穂高も見えます。

すばらしい景色です。

松本に来る時は、

この北アルプスの山々の景色を見るのが私の楽しみの一つです。

 

車のナビに、

りんご園の後輩さんのお宅の電話番号をセットして

北アルプスの山々に向かい、車を走らせました。

 

30分ほど走ると、

塩尻から安曇野に抜ける「サラダ街道」に出ました。

この街道は、正式には「日本アルプス・サラダ街道」と言うそうです。

 

沿道で「野沢菜」を漬けている風景も見えます。

 

そして、ここに到着しました。

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後輩さんの自宅の裏には「林檎園」がありました。

私は、りんごが木に生っている風景を見るのは

今回が初めてです。

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中に蜜が入る美味しい林檎です。

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我々は、お土産に5キロの林檎を買い込み

車に積み込みました。

大阪から来た彼は、10キロを宅急便で送りました。

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このお宅では、林檎の木の「オーナー制度」も扱っているとか。

 

 

後輩さんのお宅で、1時間ほど林檎の良い香りを堪能した我々は、

その後、彼に紹介されたお蕎麦屋で食事をしました。

後輩さんも、このお蕎麦屋のご主人も

昨夜、先輩のお店で宴会をしていた

市内の吹奏楽のメンバーで

10月半場に、市民ホールで

「おじさんのコンサート」を開催したメンバーの一員の様です。 

 

 そして我々は、

次に、ここに向かいました。

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町営の温泉です。入場料はたったの500円。

まだ出来たばかりの建物で、昨日の温泉より広くて快適です。

梓川べりにあり、勿論「露天風呂」もありました。

50畳ほどの大広間には沢山のテーブルが並び

見ると大半が女性で、

皆さん湯上りの体を横たえて、休んでいました。

我々も、皆さんと同様、

ここでゆっくりお湯に浸かり、疲れを取りました。

 

外に出ると冷たい風が吹いており、

温まった体に心地が良い。

 

時刻は午後2時を過ぎました。

 

そろそろ、列車で大阪に帰る彼の乗車時刻が

近づいてきましたので、松本駅に向かいました。

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松本駅前の風景です。

松本市は長野県で2番目に大きな町です。

かつて、長野市と県庁の所在地で争い、

県庁は長野市に譲りましたが

信州大学はこの町に誘致しました。

 

駅の構内にある、

先輩のお店で、さらにお土産を買った後

ハグをして大阪の彼と別れました。

(私、ハグをしたのも今回が初めてです・・・汗)。

 

そして我々も、

ナビの位置を東京の新宿にセットし、帰路に付きました。

 

時刻は午後3時です。

 

昨日、松本に来る時は、

東京から関越道路を利用して来ましたが、

帰りは、中央高速を利用します。

渋滞は覚悟の上です。

 

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前方の車の窓からは、八ヶ岳が見えます。

山の上は雪で白くなっています。

道路は、まだ空いている様です。

 

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1時間ほど走ると、右手に富士山が見えました。

 

富士山が見えて暫くすると周りは暗くなりました。

そして、その先の東京に向う道路は、

予想通りの渋滞が我々を待っていました。

 

目的地の新宿駅に着いたのは

午後9時近くです。

 

今回の信州の旅を振り返ると、

「温泉」「合宿寮」「林檎園」「お蕎麦」「北アルプスの山々」

「お城」「アケビを漬けた焼酎」を飲みながら食べた

「鹿の肉」「馬の肉」などが浮かんで来ます。

 

旅のメンバーは、学生時代のクラブの仲間4人でした。

2年前は2人でしたが、今回は4人に増えました。

そして、「それなら来年は、夏に、メンバーを8人にして

また来るか」と言う事に話はまとまりました。

 

今回の私のお土産は、

朝鮮人参(テンプラにしました)、野沢菜、みそ漬け、

温泉饅頭、そして16個の林檎でした。

 

お疲れ様。

また来年!


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信州の旅ー鹿教湯温泉 [旅行]

(前回からの続き) 

時刻は午後3時。 

長野県の小諸を後に、

車は一路、一般道の18号線を

上田方面に向けて走ります。

道の脇には、並行して「千曲川」が流れています。

 

小諸から30分ほど走ったところで、

丸子温泉を目指して左折しました。

 

車の左右の窓から、

「日本昔話」の漫画に出てきそうな

低くて丸い山々が見えます。

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「坊や~良い子だ、寝んねしな~♪」の

主題歌が聞こえてきそうです。

 

暫く行くとトンネルがあり、

右折すると温泉街がありました。

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そこで「ひとっ風呂浴びれる温泉」の在り処を聞き出し

車は公営の駐車場に停めて、まずは散歩です。

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階段を登ると、お堂がありました。

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温泉は、「鹿教湯」と書いて「かけゆ」と読みます。

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入場料はたったの300円です。

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きれいな建物で、浴槽もお湯もきれい。

露天風呂もありました。

 

自宅のお風呂と違い、

たっぷりと熱いお湯があります。

タオルを頭に乗せ

ゆっくりと浸かりました。

「あ~極楽、極楽!」

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湯上りの温まった体に、寒さが心地良い。 

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小腹が空いてきましたので、

このお店でお饅頭を買い込み、パクつきました。

それでも、時刻はまだ夕方の5時です。

 

鹿教湯温泉の言われは知りませんが、

「昔、猟師が鹿を追っている内に

この温泉を見つけたので、鹿教湯温泉と名付けた」

と想像してしまいます。

 

この時点では、その後の夕食に、

「鹿の肉」を食べる事になるとは

想像もしていませんでした。 

 

そして、車は一路、松本を目指します。

 

暗い山道を下り、暫く走ると、

松本の町の灯りが見えてきました。

 

信州大学の脇を抜け、町の中を抜けていくと

「松本城」の前に出て、

先輩の経営する民芸品店に着きました。

しかし、まだ午後6時です。

 

先輩のお店は、

「民芸品」や「蕎麦屋」などの商売をしており

本日は宴会が入っていると聞いていますので

あまり早く訪問するとご迷惑なので

取りあえず松本駅に向いました。

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大阪から来た友人は、

明日、松本から列車で帰阪しますので、

列車の時刻を確認をするため

駅構内に入って行きました。

 

そして、もう1人も駅構内に入りました。

実は、先輩のお店はこの駅構内にもあるのです。

その様子を見に行ったのでしょう。

 

しかし、私と運転をしてくれている友人は

寒いので車に残りました。

気温は3度です。

 

ここで、1時間程時間を潰した頃、

電話で先輩に我々の来訪を伝えました。

 

先輩のお店に来るのは2年ぶりです。

私は、卒業以来7~8度ほどここに顔を出しており

クラブ員の中では、私が一番訪れているようです。

 

先輩の性格はいわゆる「竹を割った様な性格」です。

高校時代は空手習っていましたが、

大学に入ると、一転して音楽クラブに所属しました。

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夕食に鍋が出ましたが、 

左の濃い赤い色の肉が鹿の肉です。

「今日、友人が鹿を捕まえたので料理した」そうです。

 

私も、友人達も鹿の肉は初めてでしたが、

牛肉をやや固めにした感覚で、美味しい味でした。

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次に出たのが、松本の名物の一つ「馬刺し」です。

 

そして、

「食べるのは、鹿の肉と、馬の肉だ。

5人揃って馬と鹿の肉を食べる。

馬鹿が5人揃ったから丁度良い!」と言う、

先輩の駄洒落がここで出ました。

 

5人で昔話で花を咲かせ、

1時間ほど経過した頃、

奥の座敷から音楽が聞こえてきました。

 

本日は20人ほどの宴会客が入っており

吹奏楽のグループが

先月のコンサートの反省会兼飲み会を

催している様です。

 

その後暫くすると、

宴会はお開きになった様で

部屋の襖が開き

次から次へと部屋から人が出てきました。

 

そのうちの1人が先輩に挨拶をし、

「私は高校の後輩です」と我々にも挨拶をしました。

 

我々が、東京と大阪から訪ねて来たと知ると

「私は自宅で林檎園を開いているので、

どうですか、明日私のところに来ませんか?」と

申し出てくれましたので、

我々は、急遽、明日は彼の林檎園にお邪魔する事にしました。

(次回に続く)


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信州の旅ー合宿寮訪問 [旅行]

3連休の初日から翌日にかけて

学生時代の同じクラブの仲間達

合計4人で信州に出かけてきました。

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(群馬県の妙義山)

目的は、

「学生時代に合宿をした小諸の寮に行く事」、

「信州のお蕎麦を食べる事」、

「温泉に入りゆっくりする事」、

「松本の先輩の家に行く事」でした。 

そして、当初のこの目的の他に、後で

「林檎農園を訪ねる事」が加わりました。

 

集合場所は新宿駅前ですが、足は車です。

旅行者の3人は東京やその近辺に住んでいますが

1人は大阪在住です。

 

大阪在住の彼は、つい1週間前まで

「松本は大阪と東京の中間だから、

電車で名古屋経由で松本に行き先に待っているから」と

年寄り臭い事を言っていました。

 

しかし、宿泊先が浅間温泉の旅館から

松本の先輩の家に変更になった途端、

「そう、じゃ宿泊費が浮くね。

そうすると、新大阪を始発の新幹線に乗り東京に行くと、

集合時刻の新宿午前9時に間に合うね」と

態度を豹変させました。

もう学生気分です。

 

私とメールのやり取りをしている間に

彼の態度が豹変した事は

当日まで他の2人には内緒にしておきました。

 

 

関越高速道路は途中で事故があり、

2時間ほど予定時間をオーバーしましたが、

午後1時頃に小諸の「懐古園」に到着。

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2年前に、美味しいお蕎麦を食べた記憶がある

このお店に入りました。

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 翌日の夕方気が付きましたが、

旅行中はお蕎麦三昧で

2日間お米のご飯は食べませんでした。

 

食後、浅間山の麓に向かい車を走らせます。

浅間山の頂上付近は雪で、雪煙が見えました。

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15分ほど車を走らせると、懐かしき合宿場です。

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広場の一部には、雪が溶けずに残っています。

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向こうに見えるのは八ヶ岳。

合宿の時、夜には、

空に沢山の星、そして小諸の灯が見えました。

そして、この広場で、

寸劇をしたりギターを鳴らして合唱しました。

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この家には、寮を管理していた家族が住んでいて

4~5歳の双子の娘さんがいました。

その娘さん達は、今頃何処でどうしているのでしょうか。


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上総の旅(鹿野山~久留里)ー前編 [旅行]

先日、

地図の水色の部分を旅してきました。

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水色の線の下の左端にある君津の鹿野山で1泊。

翌日、車で、右端の久留里に向かい、

養老渓谷駅から終点の五井まで北上しました。

 

その時、レトロな小湊鉄道にも乗ってみました。

 

 ・・・・・

 

出発の前に、先輩が手入れをしている2ヶ所の畑に行き

新鮮な野菜を、沢山お土産に頂きました。

 

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 ナス、キュウリ、おくら、生姜、ピーマン等などです。

そして、自宅に寄り、カーナビをセットしていざ出発です。

 

 

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このカーナビの女性の声は、

「その先300メートルを右に」

「その先700メートルを左に」しか言いません。

 

暫く走った後、四つ角に差し掛かりました。

カーナビは「右に・・・」と言うのですが、

右の道は狭くて

曲がって行くのが正しい方向なのか迷う程です。 

 

運転手は迷った後、

カーナビとは正反対の左の道を選びました。

 

左の広い道を行くと、左右に流れる道に出ましたので、

右へ曲がり、暫く行くと、

先ほどカーナビが指示した道の出口と思(おぼ)しき

狭い道が見えました。 

 

先ほどカーナビの指示した

「右に曲がって下さい」は

正しかった様です。

 

しかし、車の運転者が一瞬の判断に迷う様な指示は困ります。

あの場合、「右の道は狭いのですが、抜け道です」と言うような

言葉が欲しかったのです。

 

しかし、

その様なカーナビは

料金が高いのかも知れません。

 

その後、途中で雨がパラパラと来ましたが、

出発してから30分で久留里城に到着しました。

 

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案外の山道で、いわゆる山城です。

 

私の先を歩く先輩は

左足を幾らか引きずっています。

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実は、昨夜の「オヤジの卓球大会」で、

はりきり過ぎて、私の打った球を打とうとして

コケテしまい、痛い思いをしているのです。 

 

 蒸し暑いこの日、

坂道を登ると汗が出てきました。

 

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この久留里城は

「里見八犬伝」にも

その名前が登場する、

里見氏にも縁があります。

 

北条、武田、豊臣、徳川と

時代に翻弄されたお城です。 

 

標高数百メートルの山の上に建っています。

 

1456年に建築され、明治の時代に廃城となり、

1979年に改めて建てられたお城です。

 

 

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↓(久留里城の説明 )
 

 

 

上総は「かずさ」と読みます。

千葉県は、

北から、下総(しもふさ)、上総(かずさ)、安房(あわ)と

3つに分かれています。

 

今回は、この千葉真ん中の

上総地方の旅です。

 

 

この近辺を旅すると、

いやと言うほど、この上総(かずさ)と言う

名前が出てきます。

 

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途中で、この様な「平成の名水100選」に選ばれた、

おいしい水が無料で手に入ります。

このお二人はペット・ボトルを10個以上持ってきて

水を詰め込んでいました。

 

私も飲みましたが、

こくのある、深みのある味の水でした。

 

この様な、無料で美味しい水が手に入る場所が

道路の左右にいくつかありました。

 

(後編に続く)


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龍之介は中国で何を視たのか [旅行]

芥川龍之介の小説は、自分が若い時に読んだのみで、
今では、その内容もほとんど忘れてしまっている。
 
しかし、彼の印象的な顔写真は時々雑誌などでも見かけるし、
先日は、生の原稿が見つかったとも新聞が報じていた。
 
3週間ほど前、図書館に行った際、
「芥川龍之介・・・・」と言う文字が目に留まったので、
何気なく借りてきた。
 
 
 (お気に入りの中国服を着ている龍之介)
 
それは、
関口安義氏の書いた
「特派員・中国でなにを視たのか・芥川龍之介」
である。
 
龍之介の小説は読んだ事はあるが、
彼本人の生い立ちや社会生活に関してはまるで知識がなかった。
 
しかし、
この本で彼の生い立ちなどの側面と
その当時の時代背景を知る事が出来た。
 
彼は、1892年(明治25年)に生まれ、
東京の本所で育ったが、
ジャーナリスト的才能は子供の頃からあったようだ。
 
そして、帝国大学を卒業後、
1919年に大阪毎日新聞社に入社をしている。
 
それも、菊池寛を誘い、2人だけの入社のようだ。
 
新聞社は、
欧米などの海外に特派員を派遣するそうだが、
龍之介は中国に派遣された。
 
その時、たまたま、
彼は人妻との不倫の最中であった。
 
しかし、家族の反対もあり、
その女ともそろそろ手を切る時期でもあったようだ。
 
そこに、その特派員の話が出た。
彼にとっては、「渡に船」の話である。
 
「早く手を切る為に、彼は、いち早く手を挙げた」
・・・・これが真相のようである。
 
そして、出発に際し、
3月に送別会が行われるのだが、
そのメンバーが凄い。
菊池寛、久米正雄、里見弴、小山内薫、
久保田万太郎、山本有三、室生犀星、
与謝野鉄幹、晶子夫妻など40数名が集まった。
 
以上は、私が耳にした事のある人物だけを上げたのだが、
他にも沢山の人物が記述してある。
 
しかし、いざ、中国に出かける際、
彼は風邪で熱を出してしまった。
 
しかし、彼は不倫相手と早く手を切りたいが為に、
無理をして中国に出かけたようだ。
 
そのお陰で、上海に着いてから、
風邪が再びぶり返し、3週間も寝込んでしまった。
 
三島由紀夫は、バーベルで体を鍛え、
筋肉隆々の小説家だったが、
芥川龍之介は、
私の小説家へのイメージ通りの人物である。
 
痩せていて、病弱で、
その上、地味な色の和服を着ている。
 
 
 
その頃の時代背景は、
欧米列強が中国に進出していた時代だった。
 
しかし、第一次大戦が始まり、
その隙に日本が中国に進出し、
日清・日露戦争を仕掛けると言う、
日本にとっては軍国主義の華々しい時期であった。
 
今回の龍之介の中国旅行に際し、
大阪毎日新聞の学芸部長の薄田淳介が、
龍之介の行く先々に紹介状を書いて送っている。
 
1921年に武漢市を訪問した際には、
住友の支店長の水野家に旅装を解いた。
 
早速彼は「支那各地至る所の日本人皆僕を優遇します。
小説家になっているのも有難い事だと思いました」
と言う手紙を薄田宛てに書いている。
 
弱冠29歳の龍之介の作家としての評判は、
中国在住の日本人にも伝わっていたのである。
 
龍之介は中国で3人の文人に会っている。
章炳麟(しょうへいりん)、鄭孝胥(ていこうしょ)、
李人傑(りじんけつ)と言う革命家達である。
 
その内の一人、章炳麟からは
「私が最も嫌悪する日本人は桃太郎だ。
桃太郎を愛する日本国民にも多少の反感を抱かざるを得ない」
と言う話を聞かされる。
 
日本に戦争で敗北し、
上海に疎開地を設けられた中国としては、
それを直接批判が出来ないため、
桃太郎を例にして皮肉を言ったのだろう。
 
長沙という所では、
ある女子師範学校を訪問した。
そこの女学生は鉛筆を使わず、
筆硯を備え、幾何や代数を勉強していた。
 
これも排日運動なのである。
文具類は中国国産の物はないので、
当時は日本に頼っていたのである。
 
その他、日本人にとっては不快に感じる、
当時中国各地で起きていた排日運動の内容を、
龍之介は素直に記述している。
 
 
私が今回、この本を読んでみる気になったのは、
数ヶ月前に、NHKのラジオで「杜子春」の朗読が
偶然流れてきた事もある。
 
洛陽は、隋・唐時代には西の西安と呼ばれ、
杜甫、李白、白楽天の活躍の場で、
龍之介のあこがれの地であった。
 
龍之介は、この地を舞台に、
私の好きな、
児童文学の名作「杜子春」を描いている。
 
物語はここ↓。
 
 
 
芥川龍之介は、排日運動が盛んな時期に中国に出かけ、
おまけに健康をも害した。
 
そのせいか、
彼の紀行文「支那遊記」の評価は低い。
 
しかし、私が今回読んだこの本は、
「龍之介のこの中国体験が、
その後の彼の作家生活に、如何に大きな影響を与えたか」
と著者が記述している様に、
大変興味深く読む事が出来た。
 

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