米国TV映画「Route 66」 [テレビ]
「Route 66」は、1962(昭和37)年に
放送された米国TV映画です。
出演は ジョージ・マハリスと
マーティン・ミルナーです。
ロサンゼルスからシカゴまで4000キロの ハイウェイのルート66を、シボレー・コルベット・スティングレイで旅する二人の青年、バズとトッドの物語です。
後に、出演者がジョージ・マハリスから
他の人に変更になった記憶があります。
| |
出演者のマーティン・ミルナー(左)は父親が有名人。
また、ジョージ・マハリス(右)はギリシャからの移民で、
子供の頃には差別されたと述べていました。
二人の乗る車は、シボレー・コルベットで、
格好の良いオープンカーでした。
我々の世代にとって、「ルート66」は
輝く米国の憧れの道でした。
20年ほど前、友人のWMとWS君が2人で
この道を車で走ったと話をしていました。
10年前には、HT君がやはり走ったそうです。
私にも4年前にそのチャンスはあったのですが、
私はおとなしくヨーロッパに行きました。
先日、俳優の中村雅俊がテレビ番組で
その道を走っていました。
私は、その番組を途中から見たのですが、
中村雅俊が、終点のシカゴの街角に、
「Route 66 END」と言う標識を見つけて
その番組は終わりました。
中村雅俊も同じ年代なので、ルート66は
憧れだったのでしょう。
映画が放送されていたある日、友人のWY君が
ルート66を歌うジョージ・マハリスのレコードを
買ってきました。
私は、そのレコードを借りて何回も聞きました。
そのレコードのB面は「ソー・イッツ・トルー・
ウェニューセイ~・アイラ~アブユー」で始まる
「嘘は罪」でした。
「ルート66」の番組の終了時には、コルベットで
道を走る場面のバックに、ピアノ伴奏で歌う
ナット・キング・コールのジャズっぽい歌が
流れるのですが、そちらの「ルート66」も渋くて
良いものでした。 |
懐かしの昭和のテレビ番組 [テレビ]
1964(昭和39)年の作品です。
夢路いとしが、「10万円・7万円・5万円」と
言う口上が面白かったー。
「兼高かおる世界の旅」
|
「ホジュン」と「チャングム」 [テレビ]
マイ・プロフィールでも紹介していますが、
私のお気に入りだったTVドラマの「チャングムの誓い」が終了して
既に半年が経過しました。
今年に入り、他にこのようなTVドラマはないかと捜していたら、
あまめぐさんから、「ホジュン」と言うチャングムの男性版があると
教えてもらいました。
しかし、私がこの番組を見ようにも、平日のお昼の放送なので、
カレンダー通りの仕事をするサラリーマンの私には見る事が出来ません。
そこで、この5月の連休の平日の休みを利用して、
2回ほど見てみました。
監督が同じ、時代も近い、画面が明るい、
出演者も見た事がある人ばかりでした。
やはり、チャングム同様、このドラマにも、はまる人は多いと思います。
この「ホジュン」は、昨年、関西地区で放送されて、
今年の4月からBS朝日で関東地区にも放送され始めました。
「チャングムの誓い」を放送したNHKが、
何故この「ホジュン」を確保して、
全国放送が出来なかったのかは分かりません。
ストーリーは、貧しい妾の息子が苦労をして、
宮中の名医になるという、
チャングム同様、実在の人物をモデルにした内容のようです。
「チャングムの誓い」では、偉い長官様の役をしていた役者が、
今度はチャングムの時の悪役の手下役になっていたのは滑稽でした。
今日も、平日のお休みですので、
お昼から「ホジュン」を見る事が出来ます。
このTVドラマを、土曜か日曜にNHKがBSで再放送してくれると、
「チャングムの誓い」の時の様に、
全国的なブームを起こす事が出来ると思うのですが、
如何でしょうか?
あのオヤジがハリマオだったのかな~? [テレビ]
今日、仕事場で珍しい光景を目にしました。
それは、イスラム教のアラーの神へのお祈りでした。
仕事場に、アラブ系の女学生が3人ほどアルバイトに来ています。
彼女達は皆、アラブ系の女性がそうするように、
室内でも顔をスカーフで覆っています。
夕方、私がパソコンを打っていると、
そのアラブ系の女性の1人が後ろを通り過ぎました。
そして、長さ1メートル程の布を床に敷き、
何かを始めました。
それは、立ったり座ったりの、
TVで良く目にする、「アラーの神様へのお祈り」でした。
私は、目の前で、実際にその光景を見るのは初めての事でした。
時間は、丁度夕方の6時。方向は東向きでした。
私は、その光景を見て、何故だか、
子供の頃に見たTV映画の「怪傑ハリマオ」を思い出してしまいました。
ハリマオは、白いターバンを巻いて、サングラスを掛けたヒーローで、
正義の味方です。
実際に、南方のマレー半島には、
嘗て「マレーの虎」と呼ばれる人がいて、
その人がモデルだと何かで読みました。
インドネイシアにはイスラム信者が多く存在するようです。
何故だか、私の子供の頃のTV映画のヒーローは、
「月光仮面」にしろ、「ハリマオ」にしろ、
みんな頭にターバンを巻いていました。
どうしてでしょうか?
きっと、戦争で南方に行った人が、
その文化を日本に持ち帰ったのかも知れません。
20年位前の事。
私が新聞を読んでいる時に、
ある記事に目が行ったことを思い出しました。
それは、「ハリマオ」の主人公を演じた人が、
「現在は新橋で焼き鳥屋をやっている」と言う記事でした。
私は、若い頃、良く新橋の焼き鳥屋に行きました。
そう言えば、そこのオヤジは、顔が陽に焼けていて、
何となく話し方も似ていました。
ひょっとしたら、あのオヤジが、
「ハリマオ」だったのかも知れません。
まる子ちゃん評 [テレビ]
毎週、日曜日の夜6時から「ちびまる子ちゃん」が始まります。
いい歳をしてとお思いでしょうが、私、このアニメ漫画が好きなのです。
80歳を越えた私の母親も、この時間を楽しみにしている様です。
「ちびまる子ちゃん」は、昭和40年代が背景のようです。
昨年、地元の図書館に行った際、「はまじ」の本を見かけました。
彼は実在の人物で、現在も清水に住んでいるようです。
[私の勝手な人物評]
おばあちゃん・・・・・この家族の中で一番目立たない存在です。
たまには、おばあちゃんが中心の
ストーリーを見たいものです
お母さん・・・・・・・・うるさくて、私の苦手なタイプのおばさん
お姉ちゃん・・・・・・・ ミニ・お母さんタイプ(同上)
お父さん・・・・・・・・私の女房が好きらしいのですが、
性格がイマイチ良くない
ちびまる子ちゃん・・こんな娘が近所にいそうで、面白い存在
おじいちゃん・・・・・この番組の中で、私が最も好きな存在の
「友蔵じいさん」
私も歳をとったらこんな風に生きようかな!
昆ちゃんいつまでも元気で! [テレビ]
自分が子供の頃、TV画面の向こうに出ていた人が、
数十年後の最近になり、
当時の馴初めや、裏話、その後の事を話すのを聞くと、
「そうだったんですか、そうですか、うん、うん」と随分と納得してしまう。
そして、今頃になって知らされた話を、ずっと昔から知っていたように、
自分の記憶の奥の底の方に仕舞い込んで、
あの頃の記憶と一緒にして整理してしまう。
そんな事が時々にある。
先週の土曜日の朝、大竹まことの「少年ラジオ」のゲストに
大村昆さんが招かれた。
「番頭はんと丁稚どん」や「とんま天狗」のあの人だ。
丸い禿げのある昆ちゃんが、番頭達にいじめられるのを見て、
僕達TVのこちら側にいる少年達は、
「頑張れ昆ちゃ~ん、僕達が付いているぞ!」と思いながら、
画面を見つめていたものだ。
笹十郎と茶川一郎は、東京の出身で、大阪に行き名前が売れたようだ。
大村昆の名前が全国的になったのは、東京人の彼等のお陰だったようだ。
昆ちゃんは、TV画面でもいじめられたが、実際にもいじめられたようだ。
先輩達から、口を開けさせられて、飲めないお酒を飲まされて、
何回も病院に行ったようだ。
しかし、その意地悪な先輩達も、65歳を過ぎると、
何処かに消えてしまったとの事。
そして、その頃の人で今も元気なのは、
養命酒のCMに出ている藤田まことと、
オロナミンCのCMに出ていた自分だけだと言っていた。
・・・何となく嬉しい。
そして、イタリア人と仲良くしていたと言う話もしていた。
第2次大戦中、イタリアは同盟国だから、
当時日本に100人くらいイタリア人がいた。
しかし、戦争が終わると、大半の人が国に戻った。
だが、「国は戦争で荒廃しているだろうから、今は帰れない」と
30人くらいが神戸に残った。
彼等はある喫茶店に集まり、故郷を思いだすように
カンツオーネのレコードを聴きたがるのだが、
そのレコードを掛ける係りが昆ちゃんだったようだ。
他のラジオ番組でこんな話も聞いた事がある。
ある日の事、昆ちゃんは体の具合が悪いので病院に行き、
待合室で待っていました。
何人も患者がいるのに、何故か昆ちゃんが一番最初に呼ばれたそうです。
そこで先生に「何故ですか?」と聞くと、
「自分が子供の頃、貴方の番組を楽しみにしていました」と
その先生は言うのです。
「ありがたい事です」と昆ちゃんは言いました。
大村昆ちゃん、いつまでもお元気でいて下さい!
月光仮面との遭遇 [テレビ]
我々が少年の頃のヒーローは、勿論、正義の味方の
「月光仮面」だった。
月光仮面は、全身真っ白な衣装で、ターバンまで巻いて、
白ぶちのサングラスを掛けている。
毎週、小さな14インチの白黒のTV画面に
彼が登場するのを楽しみにしていた.少年は
日本全国に沢山いた。
先日亡くなった、鈴木ヒロミツさんも
その少年達の一人だったのだろう。
だから、長じてモップスと言うグループを作った際、
月光仮面の歌をロック風に編曲して、
レコーディングしたのだろう。
私の後輩にF君がいる。
彼は現在、札幌のラジオ局で、
毎夜自分の番組を持つプロの歌手だ。
CDやレコードを何枚も出していて、全国コンサートも行う。
しかし、北海道には、頭が禿げた、歌の上手い歌手がいるので、
彼に押され、F君の名前はなかなか内地まで届いてこない。
我々が、大学を出て、世の中に出たばかりの頃、
F君は青山のスナックで弾き語りをしていた。
ある日、3人で彼のスナックを訪れた事がある。
行ってみると、そこは、大瀬康一と高千穂ひずる夫妻の
経営するお店だった。
高千穂ひずると言えば、
時代劇映画の、お姫様役の銀幕の大スターだ。
我々のテーブルに、ひずるさんが座ってくれて、
あの輝く目で、我々に色々と映画の話をしてくれた。
一時間程して、
そのお店を退出するために階段を登っていると、
後から大瀬さんも登って来た。
そして、F君に声を掛けた後、
大瀬康一こと「月光仮面」は、
右手を挙げて、タクシーに乗り、
さっそうと何処かに走り去ってしまった。
その瞬間、残された我々は、14インチのテレビの
白黒画面の中にいるような錯覚に陥ってしまった。
今、この店が何処にあったのかは、思い出せない。
それから、数年後の事。
私は、池袋の西武線のホームにいた。
お昼頃でしたので、電車が到着しても乗客はまばらでした。
ふと見ると、前方から見た事のある老人が歩いて来たので
私は、何となく警戒してその人に道をゆずりました。
その人は、丸い顔で、まん丸な目、頭は禿げています。
そうです、その老人は、
月光仮面に悪役で登場していた人だったのです。
彼は、TV画面と同じ様に、猫背でした。
そして、その老人は、私の脇を通り、
改札口の方に歩いて行きました。
このように、「月光仮面」の登場人物は、
東京のあちこちの街中に出没しているのです。