友情のオレンジの花(琴線に触れた友人達ーその5) [琴線に触れた友人達]
琴線(きんせん)に触れた友人達の
5人目は「がんもくん」です。
彼との付き合いも長いが
今まで彼にはこれと言った
あだ名はなかった。
しかし、彼の結婚式で、
会社の同僚達から「がんも」と
呼ばれていると聞かされ、
彼の頬っぺたを見つめながら
「はた!と納得した」と
式の挨拶の中でも言ってしまった。
彼との付き合いは
中学1年の時以来だ。
このコーナーの第1話の
「みっちゃん」の話の中で
私が6歳の時に隣町から
引越して来たと紹介したが、
「がんもくん」はその隣町からの
越境入学者だ。
その隣町に小学校は一つしかないから
私が越さなくても、いずれ彼とは
知り合いになっていたと言う事になる。
中学生当時、
冬になると毎年の様に流行性感冒が
流行り、私などは3日間水しか飲めない
というひどい目にあった。
そうなると当然クラスは学級閉鎖だ。
ある日、私が流感で寝込んでいると、
彼が我が家にやってきた。
私が風邪で寝込んでいるという事は、
中学の生徒全員が寝込んでいると
思い込んでいるから、
突然元気な彼が現れた事が不思議に
見えた。
やはり彼は、
私より鍛え方が違う様だ。
その頃、体育の時間には
フォークダンスがあった。
複数のクラスが合同でフォークを踊り
男女が手を繋ぎながら「マイム、マイム♪」と
輪を描きながら踊るのだ。
隣のクラスには可愛い女の子がいて、
私はその娘と手を繋ぐのを楽しみに
していた。
しかし、事もあろうに
「がんもくん」がその娘と
手を繋いでいる時に、
「ああ~、早く終わらないかな」と
呟いてしまった。
「何と言う事を言うのか」と
思う私より先に、これを聞いた
天然パーマの三平というあだ名の
体育の先生がカチンと来てしまった。
「がんも、前へ出ろ!」、
「歯を食いしばれ!」、
「ガッーン」と彼は
殴られてしまった。
・・・と我々は、
そんな中学生時代を過ごした。
その後、長じて彼は東京の大きな
郵便局に勤め始めた。
通常、
我々サラリーマンの勤務状態は、
朝出かけ、夜には自宅に帰る。
一方、
彼の仕事には泊まりがあり、
2日休んで3日目の夕方に
会社に出かけ泊まりの仕事をする。
しかし、
彼のご近所のおばさんたちは
昼間の彼の姿だけを見ているから
彼の働いている姿が想像出来ない。
ある日、彼の母親と懇意にしている
近所のおばさんが母親に言った。
「お宅の息子は、仕事もしないで
ぶらぶら自宅にいて、
たまに出かけたかと思うと
朝帰りなどをして~」と
彼の母親を非難した。
サラリーマン家庭のおばさんは
彼の夜の行動を理解出来ないのだ。
10年ほど前、
我が家を新築した際、
彼が「のうぜんかずら」の苗木を
庭に植えていった。
その苗が育ち、
今では夏になると沢山の
友情のオレンジの花が
我が家を飾ってくれている。
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