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「たけちくん」の話:(琴線に触れた友人達ーその3) [琴線に触れた友人達]

私の人生の中で
「琴線(きんせん)に触れた友人達」
の3人目の今回は「たけちくん」の話です。

「たけちくん」と言うと、
何だか怪人20面相の「明智くん」の様だが、
子供の頃、彼の家の近くに
背の高いドングリ眼(まなこ)の大学生が
彼の事を「たけち!」と呼んでいたので、
今回彼の事を「たけちくん」と呼ぶ事にした。

彼も「やーちゃん」と同様、
小学1年の時は私と同じクラスだった。


しかし、彼とより親しくなったのは
小学4年の頃からと記憶している。


周りが、
彼と私の仲を「凸凹コンビ」
と呼んでいた事を知ったのは
つい最近のクラス会での事だ。


実は、私は子供の頃から背が高く、
同級生より首ひとつ背が高かったので
その様な言われ方をしたのだろう。

 

小学4年生のある日、
彼は初めてメガネを掛けた。


今でもその時の感激を彼から聞かされるが、
「世の中が開けた様な気がした」そうだ。


生まれつき目の悪い人は、
視界が狭く
初めてメガネを掛けると
そう感じるのだろう。


その日の授業の始まる前、
担任のA先生から
「彼をからかわない様に!」と
悪がき連中に一言注意があったのは
無論の事だ。

 


その後、我々が成人した頃に、
小椋桂の歌が流行っていた。

ある日、
彼の家で小椋桂のレコードを
聴いていた時の事である。


 

 

歌を暫く聴いた頃、
「小椋桂は、歌も上手いし、
詩も良いし、ハンサムだし、
良いね~」と彼が呟いた。


私は透かさず
レコードのジャケットを指さして、
「この写真は小椋桂じゃないぞ。
彼は担任のA先生に似て、
オヤジみたいな奴だぞ!」
と反論した。


そう、
小椋桂はデビュー当時、
レコードジャケットには
顔を出していなかったのだ。

レコード会社の作戦にひっかかり
たけちくんと同じ様に勘違いした若者が
当時の世の中に沢山いたと想像する。



果たして、
この人物は誰だったのだろうか?

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私は、
彼の姉や母親とも親しく、
彼女達は、
実の姉や実の母親の様に
私に接してくれた。

そして、
それから沢山の時間が経過して、
90歳を超えた彼の両親の葬儀に、
友人代表として
参列させてもらったのは
つい最近の事だ。

 

PS:琴線(きんせん)とは、

その人物や物事が、

自分の心の奥底のひだに感じて

いつまでも心に残る事を言います。

 

 

 

 

 

 


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